アンナ・シェルバコワ the owl post 掲載インタビュー

姉のインナが最初にフィギュアスケートを始めた。

彼女は私より約2歳年上なので、もちろん、私は彼女がなすこと全てに興味があった。私は時々彼女の練習を見て、とても自分でやってみたくなった。私達の母は私たちがフィギュアスケートを本気でするとは予想しておらず、彼女はただ私達に何らかのスポーツを子供として楽しんでほしいだけだった。

私は姉と同じグループでスケートを始め、そこの全ての子供は2歳か3歳私よりも年上で既に1年か2年滑っていた。年上の女の子達についていくためにレッスンの内容を素早く習得し上達せねばならなかったが、これが結局不幸中の幸いとなった。

初めてスケートリンクに足を踏み入れた時、とても大好きになった。

この氷、スピード、動きから得る喜びは今もある。私はいつも練習し技術を向上したいという深いモチベーションと、新たなことを試すことに興味があった。子供の頃から、私のプログラムはいつも小さな劇場公演の様だった。

私は子供時代のプログラムの1つ1つの動きを、どれほど頑張ったかを覚えている、不思議なことにジャンプはどう練習したか覚えていないけれども。

私は、どうジャッジの視線を探したか、どう皆の魂をまっすぐ見つめ、自分のプログラムを見せ、私を見せるためにとても努力したかという子供の頃の気持ちを覚えていて、そしてそれはみな楽しいままだった。

あの感情が私の中にある意味で留まっている。

だからフィギュアスケートが好きなのだ。

私の最初のコーチは私を褒めた、でも彼らはいつも、才能だけでは十分ではなく沢山努力をしてようやく才能は育ち素晴らしい結果へと導くのだと強調した。もちろん、ある程度の特性はなければならないが、でも勤勉さ抜きにはそれは何にも値しない。

9歳でエテリ・トゥトベリゼのグループに加わった。

より真剣なグループで、結果のために努力している選手たちがそこで練習していた。

私は彼らを見て、どれほどの練習をそこではせねばならないのかを目の当たりにした。その時、ユリア・リプニツカヤがオリンピックへ向けて準備をしていた。

私は映画『シンドラーのリスト』の音楽にのせた彼女の滑りを目にし魅了された。

私はトリプルジャンプを習い始め、それが私にこのグループではスケートはもうただの趣味ではないのだと理解させた。私は練習のゴールを打ち立て、私はそれらを満たさねばならなかった、結果を出すために、私の目標達成を求めて努力するために。

しかし、1人の子供として、私はオリンピックチャンピオンになるというゴールを自分に課さなかった。私は、幼い子供がオリンピックで勝ちたいと言うのが大嫌いだ。時々子供の本心からくることもあるが、大抵はそれはオリンピックのチャンピオンになることがあらゆるアスリートの主要なゴールだと信じきった大人からくるものだ。

子供はそれを聞き、3歳や4歳にして自分の目標を定める、それを達成するのに一体何が必要なのかを理解もせずに。

何を費やさねばならないか?

どんな道のりか?

私の考えでは、それは間違っている。

ええ、目標は常にあるべき。

子供は同年代との大会で優勝することを夢みてもいいし、新たなジャンプを習得することを夢みてもいい、ダブルやトリプルのような。しかし彼らはまだ、オリンピックチャンピオンになると言う夢の裏側に何が隠されているのかを理解はできない。

ゴールは現実的でなければならない。

後で彼らに何が起こるのか、子供の頃の夢が叶わないという事実にどれほどの痛みや落胆があるのか誰も知らない。

全てのアスリートの内面には人間性があり、それらは共存せねばならない。

私はいまだにそのバランスを探している。プロフェッショナルスポーツは長年私の全生活を占めてきた、時間だけでなく、私の思考をも。ある種驚くべきことに私はそこで何かを失った様な気はしていないけれども、私は自分が何をしたいのか探求できることに感謝している。

皆が皆、18歳までに野望や可能性を実現させ、自分がのびのびできる生業を身につける機会があるわけではない。そして自己実現だけでなく、それを私の演技、成功と失敗、私のスポーツの旅路を目で追うことができる大観衆の前で披露する機会を持つことも。

外部からは驚きを持って受け止められるかもしれないが、しかしずっと滑り続けてきたこの15年間、自分は十分フィギュアスケートが好きかどうかやどうして自分はこれをしているのかについて真剣に考えるような疑念の瞬間があった覚えが全くない。

もちろん、もし何かがうまくいかない時は、やりこなすのは大変だ。

誰しも良くない練習というのがあるが、しかしミスを修正するために何をする必要があるのかを見つけ出すのが重要だ、感情に焦点をあてるのではなく。

私はいつも考えている。『これを繰り返さないために私は明日何ができるのか?何が修正されなければならないか?失敗は厳密にはどこにあったのか?』と。

うまくいかない日々があっただけではなく、怪我などで丸々スケートに行けない時期もあった。最長の休みは13歳で足を骨折した時。私は最初の国際ジュニアシーズンを逃した。

私は自分はリンクに戻るのだと自分自身を説得する必要もなく、スケートが過去のものになるとも一度も思わなかった。練習に来すらして、ベンチに座り、皆が滑るのを見ていた、なぜなら私はリンクなしでただ家に座ってなどいられなかったから。スケートに戻るために全てをさっさと治すという野心があった。

私は競技がしたいという願望があったから、願望はいまだに私の中にあり直近の五輪にも抱えていった。

最も難しかったのは、大会を待つことだ。

個人競技の約2週間前に北京に到着した。あれはとても長く感じられた、なぜならオリンピック選手村では練習セッションは普段の練習過程とは大きく異なっていたから。たった30−40分(1日にリンク練習3時間の代わりに)というのは調子を上げるのに十分というには程遠かった。

調子を保つためですら不十分だった!私は徐々に調子を崩していると感じた。

その様な練習ではこれは予期すべきことだが、でももちろん、私は4年に一度の重要な試合に十分装備して臨みたかった。その意味では待機は簡単ではない。競技のたった数日前に現地入りし雰囲気に満たされることに慣れていたので、精神的にも挑戦だった。個人的には、とても満たされ、試合で最善を尽くすのを助けてくれる。北京では私はこのエネルギーをそこで過ごす最初の日々に無駄遣いしうること、そして結局モノトーンなルーティーンに変わってしまうことがわかっていた。

北京での練習中は、私は4回転ジャンプを3本入れて滑れていた。私は競技では2本で滑ることに決めた、なぜなら私は演技中にはそれが私の最大限だとわかっていたから。それはすでに今季の過去の試合よりももっと難しい配置だった。

私は、リスクを取ることが正当化される時のみそうする準備ができている。

実際、試合では、私はしばしば練習以上のことができるが、心の中でできるということを知る必要があった。私はいつも練習セッションの間ジャンプがどう感じられるかについてとても注意している。試したジャンプの数は頭で考えて取り組むことほど重要ではない。そうして私はもっと自信を持って試合に出ていきここぞというときに最大限を見せることができる。そして私は、全てをミスなく実行し2つのクリーンなプログラムを見せシーズンベストを得点することができたのがオリンピックで本当に嬉しい。自分のベストをアスリートキャリアにおいて重要な試合であるオリンピックで披露すること、これはまさに私が追い求めていたこと。自分にとってこれはとても重要なことだった。

演技のすぐ後、私は喜び、充足感、幸福感などの言うに言われぬ感情を経験した。私はそのために滑っているという、どんぴしゃりの感情。

何か特定のメダルのためではなく、氷上で経験するこれらの感情のため。演技の前は、皆が私を見ている、全ての注目が私に集中しているというふうに感じ、そしてできること全てを披露できる瞬間には、全てが最高の出来!

これはとても興奮する。

そして全てが計画通り進む時。この感情は何物にも比べられない。

試合の後は絶対的な虚無が内面にあった。

思考もなく、感情もない。

おそらく人生で初めて、私は一日中全く何も考えることなく過ごしたんだと実感した。いつもは私は常に心の内で対話の様なことを行っている。そして初めて、全く何もなかった。

完全なる空虚。

私はそれを直そうとはしなかった、そして何か感じるべきだと自分を説得しようとすらしなかった。私は無理に喜んだり悲しんだりしようとしなかった。自分に時間をあげたほうが良いと決めた。もし頭の中に何の考えもないのなら、それは今はそうあるべきなのだと言うことだ。そして私はそれは正しかったと思う、あれは私が欲してたものだった。

なぜなら私はまたずっと個人としての私とアスリートとしての私の狭間で、それに伴う浮き沈みの間でバランスを取ることに勤しむこととなるから。

時々、うれしく感じるために、私は今日私は何もやらなきゃいけない重要なことがなく、家にいて幾許かの平和と静寂を楽しむことができるんだと実感する必要があった。

旅行、海沿いでリラックスすること、新しいことにチャレンジすることが好き。空中ブランコ、テニス、バスケ、バドミントン。私は異なる活動が好き。昨年私は初めてスカイダイビングをした!

とりわけ、私はペットたちと過ごすのが好き。彼らとの交流は私をとっても幸せにしてくれる。子猫の時路上で拾ったマフィアという名前の猫と5ヶ月の時シェルターから引き取ったサンディという犬がいる。

そして私はリンクに行く、すると幸せの意味することが急に変わる。

アスリートにとっての幸せは、思い描いたこと、やってきた取り組みを実現できた時。私は観客に対する責任を感じる。

私は彼らにいいプログラムを見せたい。

それは、いまだに発展途上でお互いを理解しつつある私の体の部分と部分の間のダンスである。姉の歩みを追って何年も前に始まったダンスだ。

Anna Shcherbakova - Indoor - The Owl Post
Dance by Anna Shcherbakova

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