フィギュアスケートのカウボーイが去る。彼は宙返りをし、つば広帽をかぶり、世界中に家族を紹介した

Уходит фигурный ковбой: он прыгал сальто, красовался в шляпе, знакомил с семьей весь мир
Киган Мессинг запомнится и без побед.

カナダ人のキーガン・メッシングが、東京の国別対抗戦でフィギュアスケートを引退した。

彼は成績よりもショーでの独創的な演技や家族への愛情深さで知られている。演技後の生放送中に家族に電話したこともあった。

今後は、彼の演技はショーでしか見ることができなくなる。これからメッシングにはツアーがあり、そして彼は観衆を喜ばせるものを沢山持っている。では、彼の最も輝かしい演技や最も重要な成果を振り返ってみよう。

トレーニングに疲れ、家族が恋しくなった(毎回滑り終わるたびに子供たちの写真を見せていた)

キーガンは、3月に埼玉で開催された世界選手権の前にもう引退を表明していた。主な理由は、ケガとトレーニングに疲れた事だった。キーガンは1月に31歳になり、シングルスケーターとしてはかなりの年齢である。

「痛みに耐え、毎日寒いリンクに通い、くたくたになるまで自分を追い込むのはだんだん難しくなってきた。疲れてしまった。全身が痛いんだ。」と、彼はカナダ選手権の後に語っている。

さらに、2023年には妻のレーンさんとの間に第2子となる娘ミアちゃんが誕生している。このスケーターの妻が入院したのは、彼が全カナダ選手権に出発した直後だった。そして、後に本人が認めたように、それはひどくストレスのたまるものだった。

「あの大会はとてもエモーショナルで、胸が張り裂けそうだった。ミアの出産が僕のフリーと同じ日でなければならなかったこともあり、緊張した。でも、ほとんどの時間、妻と電話で話し、ただ希望を分かち合っていた。」

キーガンの家族への強い愛着も、トーナメントを終えた理由のひとつだ。ホームでの大会では、妻と息子がいつもスタンドで応援していた。ワイアット君はカナダチーム全員によく知られており、シングルのナム・グエンは仲間内では既にみんなにおじちゃんと呼ばれている。

そしてやはりメッシングは今シーズンのほとんどをホームから遠い場所で過ごした。いつも滑り終わる度に、キスアンドクライで妻や子供達の写真をカメラに見せ、時にはビデオ通話をして一緒に結果を待つこともあった。

彼には大きな勝利はなかったが、ファンは拍手喝采で見送った

コーチであるラルフ・ブルクハルトもまた、長い間、家族の一員であった。彼らは、約25年にわたるキャリアのほとんどを共に歩んできたのである。オーストラリアで7度の優勝経験を持つブルクハルトは、1992年に氷上を離れ、地球の裏側、1万2千キロ離れたアラスカに渡り、そこでキーガンと出会った。

メッシングが初めて演技をしたのはアラスカでアメリカ代表としてだったが、2015年に国旗を変更した。その時、アメリカ代表はネイサン・チェン、アダム・リッポン、ジェイソン・ブラウンらが表彰台を分け合っていた。当時のキーガンは4回転に苦しみ、構成点でも抜きん出ることはなかったため、彼らとの競争は乗り越えられないものだった。

しかし、カナダでもすぐにメジャーな大会に出ることはできなかった。グランプリシリーズにデビューしたのは25歳になってからだった。ジュニア時代に一緒に戦った選手(例えばアルトゥール・ガチンスキー等)の中には、その頃にはすでにシニアで滑り切りキャリアを終えていた選手もいた。

メッシングは、次の6年間で2つのメダルと4大陸選手権で銀メダルを獲得した。彼は世界選手権では6位以上になったことがなく、オリンピックではトップ10に入ったことがない(北京では11位、平昌では12位)。それでも彼は、華やかな勝利ではなく、カリスマ性でファンの心を掴んだ。

メッシングのお気に入りのスタイルは、ジーンズ、チェック柄のシャツ、そしてカウボーイハットだ。彼はそういう、素朴で気さくな「隣に住んでいるような男性」なのだ。彼のプログラムのほとんどは、カントリーやポップスの軽快なストーリーで構成されている。例えば、2022/23シーズンのフリープログラムは、フィリップ・フィリップスの「Home」にのせてプログラムを作った。これは、最も困難な状況でもベストを信じることをテーマにした楽曲だ。

そしてまさにこのプログラムと演技で自身のキャリアを終えたことは象徴的である。でもこれは彼の最高のパフォーマンスではなかった。彼個人の最高得点より16ポイントも低く、わずかにアクセルが救いだった。しかしキーガンは、幸せで泣いていた。ファンたちは曲に合わせて手拍子を送り、しばらくの間スタンディングオベーションで彼を見送った。特に、彼の得意のハイドロブレーディングやスプレッドイーグルをした時に拍手喝采が起きた。

彼は実験を恐れなかった。ターザンの衣装で演技したり危険な技も行っていた。

また、チャーリー・チャップリンの衣装でも彼は変わらず個性的だった。このフリーは2年間滑り、その間にコンポーネンツを平均で8点向上させた。ステップシークエンスは、まるで振り付けと同じようにスムーズだった。キーガンは技術的に動きを演じるだけでなく、俳優の身体表現や顔の表情まで再現していた。

もちろん、ファンにとっては、エキシビション用のプログラムも記憶に残っているものだろう。メッシングはリスクを冒すことが好きで、たとえばトレードマークの宙返りや効果的なスライダーなど、よく氷上で技をする。また、彼にはミスを巧みに演出する驚くべき能力があるのだ。ミスをスピンや、ハイドロブレーディング、ダンス要素に持っていくことができるのである。そして、外から見るとどんなに恐ろしい転倒に見えても、キーガンは微笑んで、ペースを落とすことなく先に進む。

さらに、彼は大胆な衣装を試している。何年もの間、映画「ターザン」の音楽に合わせたプログラムは、ショーで観客を盛り上げた。

5年前、パトリック・チャンが競技から退いた後、キーガンは代表チームのリーダーの座を継いだ。そしてその彼自身の後継者を予想することは難しい。現在、カナダでは有望な男子シングルの新しい世代が育っている。スティーブン・ゴゴレフ、コンラッド・オーゼル、ウェスリー・チュー。彼らは全員が4回転ジャンプを跳び、スケート技術も悪くないのだが、いまひとつパフォーマンスの安定性に欠ける。それは経験不足からくるものかもしれない。そして、誰もがまだキーガンに匹敵するほど観客を感動させる能力を持っていない。

国際スケート連盟(ISU)は国別対抗戦の男子フリーの後、キーガンを恋しく思うだろうとSNSでコメントしている。あなたも彼が恋しくなるだろうか?

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