グルジアのフィギュアスケート選手モリス・クヴィテラシヴィリがロシアからグルジア代表への移籍について語った。
質問者:
いつどの様にしてグルジアへの移籍の案は出てきたのでしょうか?
クヴィテラシヴィリ:
総じて、最初のグルジア代表出場は子供の頃でした。
CISの大会のスペシャルプログラム。
当時は連邦大統領も違った。当時CSKAのスヴェトラーナ・セルゲーエヴナ・ブカレワ先生のもとで滑っていた。
質問者:
何歳でしたか?
クヴィテラシヴィリ:
8−10歳のどこかだったと思う。
当時私にはグルジアを代表しての出場を試す機会があった。でも私はモスクワで生まれ育ったのでずっとロシアを代表していた。ただ
ある時鼠蹊部が痛み始めた。病院に入院せざるを得なかった。
ラッキーなことに深刻なことはなかったが、少し治療を受ける必要があった。
この時、その後何をすべきか熟考した。
そして、今のところ鼠蹊部が痛いからには、ジャンプが飛べない=アイスダンスを試そうかなぁと決めた。
アレクサンドル・ズーリンの元へ赴き、彼の元でキッカリ1日滑った。うん、私には面白かったので試してみることに決めた。
この練習の後私の両親に国外から電話がかかり始めた。ドイツから、アメリカから、グルジアから。
そして聞いていた、
「何、モリスはダンスへ行ったって?もう1ヶ月やってるとみんな話してるよ」と。私は全部で1日試しに来ただけなのに!(笑)
こんなに噂は広まった。
結果、私はアイスダンスでグルジアを代表することに興味があるかどうか聞かれはじめた。
でも私はそれでもシングルをやる方が良いと考えた。なぜなら国際的に何かを変えたくはなかったから。
グルジアでは私がシングル選手としてグルジアを代表して滑ることに賛成だった。
結果私は2016年と2017年の境に移籍した。
質問者:
ロシア代表の何が妨げだった?
クヴィテラシヴィリ:
多分、ちょうどその時大きな願望が。
なぜなら試合で私は勝ち、トップ3に入った。
例えばロシアカップ。ロシアカップファイナルで勝った。全露ジュニア選手権では3位だった。
でもそれはジュニア世界選手権の枠が2つしかないまさにその年だった。一方私にとって最も重要だった試合に出られなかった。例えば全露。
質問者:
貴方は今なら安心して自分の座を金重要候補の露代表の一員として争いロシアチームの一員で北京に行くことができたでしょう。
移籍を決めたことに悔いはありませんか?
クヴィテラシヴィリ:
いいえ。
私はかなり前にグルジアを代表して競技することを決心した。これは私に好きなことをし五輪を含め重要な大会に出場する機会を与えてくれた。
そうでなければ、もしかしたら、もう滑っていなかったかもしれない。
なので移籍したことに関連してはどんな悔いもない。
質問者:
これは素晴らしい。つまり、貴方はやはり正しい選択をしたのですね。
クヴィテラシヴィリ:
はい。
総じて、私には2つこういう選択があった。1つは、エテリ先生の元へ移ることを決めた時。
なぜならそれまで私はスポーツを引退しようと思っていたから。

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