
イタリア人フィギュアスケーター、ダニエル・グラスルは、彼のキャリアの中で最も困難なシーズンを送っている。
グランプリ優勝の後、イタリア選手権では失敗し(数年ぶりに表彰台を逃した)、土地や練習拠点を行ったり来たりすることになった。そして、世界的大物エテリ・トゥトベリーゼの元への今年の移籍。今の現実では、誰もが踏み出せる一歩ではない。
グラスルの今シーズンの2大スタートは、ヨーロッパ選手権では6位(2022年は銀メダル獲得)、世界選手権では12位と、決して良いものではなかった。Sports.ruの記者マヤ・ バグリャンツェワはダニエルに会い、どんな波乱が彼をモスクワに導いたのか理解しようと探った。
フィギュアスケート以外のグラスル:クラシックバレエに憧れ、映画を学ぶ(ただし俳優にはならない)
ここ数カ月、あなたはオリンピックチャンピオンよりもたくさん記事にされてきました。しかし少し巻き戻して、ダニエル・グラスルという人がそもそもどのようにしてフィギュアスケーターになったのかを思い出してみましょう。
僕がスケートを始めたのは、かなり遅かったんです。特にロシアの常識で言うとね、ハハハ。最初はホッケーのチームにいたのですが、母と一緒に地元のフィギュアスケートの大会を見に来るようになって、それがものすごく気に入ったんです。7歳くらいの時に、母にやらせてほしいとお願いして、それから始まったんです。最初はチーム内の男子は僕一人だったのですが、恥ずかしくはなかったですね。2、3年はテニスを並行してやっていましたが、その後は何かひとつを選ばなければなりませんでした。
僕が12歳のとき、最初のコーチだったリュドミラ・ムラデノワが別の町の仕事に行くことになってしまったんです。でも僕はまだ若かったから、彼女に付いて行くことはできなかったし、そうなるとその時は学校も辞めなければならなかったでしょう。こうして僕の人生にはエーニャのリンクとロレンツォ・マグリのチームが出てきたんです。
イタリアでフィギュアスケートをするのはお金がかかるのでしょうか?
安くはないですね。そして最初は、そのすべてが親の肩にのしかかるんです。成功したスケーターの背中には、両親が払った犠牲がある、と言われるように。でも、本格的に結果を出し始めると、クラブや連盟が資金援助をしてくれるようになります。
あなたはジュニアの頃から、その類稀な表現性と柔軟性で注目されていましたね。バレエの練習をよくしていたのですか?
いいえ、特にはしていません。子供の頃、部活でバレエやエアロビクスのクラスがありましたが、それよりもトレーニングジムで過ごす時間の方が長かったです。ロレンツォのグループでは振付も必修でしたし、クラシックやコンテンポラリーのバレエもよく見ていました。スケーターはみんな柔軟をするものですが、僕も例外ではなかったです。その後にヨガを始めたのも効果的でした。確かに、今は以前ほど柔軟性はないかもしれませんが、それでもまだ柔らかいですよ。
今はクラシックバレエをやるのが好きで、だから去年の、ルドルフ・ヌレエフをテーマにしたフリープログラムが大好きなんです。このプログラムはほとんどバレエと言ってよいもので、あの演出を内側から感じることができました。
振付師になるための勉強をしようと思ったことはありますか?
いいえ、僕は全く違う分野の大学に進学し、映画撮影の勉強をしています。
僕は映画が大好きで、映画を見るのが一番のリラックス法なんです。今はほとんどそんな時間はありませんが、イタリアではトレーニングの後に何かしら見ていました。
ちなみに1カ月前、トリノで行われたアイスショーでは、すべて映画をモチーフにしたショーに出演しました。カロリーナ・コストナー、ガブリエラ・パパダキスにギヨーム・シゼロン、僕らはみんな、様々な映画の登場人物に扮して滑ったんです。僕は『グラディエーター』の音楽と、カウボーイが出てくる古いイタリア映画の音楽で、2つのプログラムを滑りました。衣装はかなり重さがあり、それを着てジャンプするのは簡単ではありませんでしたが、それでもとても上手くいきました!ヒゲも付けてみたので、その時は自分じゃないみたいでした。
あと3年勉強するので、その後の事はまだわかりません。僕は撮影現場で働いてみたいと思っています。どんな仕事かまだよくわかりませんが、当然、オスカー賞を取るのが夢です。
それは俳優としてですか?
というよりプロデューサーとしてですね。映画業界の仕組みや内情に興味があるんです。それに、僕は組織運営の素質もあると思うんです。
では、アイスショーのプロデュースから始めてもいいのでは?
その可能性は十分にありますので、除外することはしないでしょう。
「ストーリーのあるものを滑ると、体力的にも楽なんです。今年は大変でした。」
今年のプログラムでは、ブノワ・リショーとジェイソン・ブラウンの元と協業されましたね。なぜ、この2人なのでしょうか?
このようなレジェンドと一緒にやれるのはラッキーです。リショーと協業するのは初めてではないので、お互いのことをよく知っています。彼は、スケーターから可能なことも不可能なこともすべて引き出す方法を知っています。
でも、何か新しいことをやってみたいという好奇心もあって、選んだのがジェイソンだったんです。なぜか?彼は私の大好きなスケーターの一人だからです。彼が氷の上に立つと、目が離せなくなるんです。彼と一緒にやれた事はものすごい経験で、彼は僕を新しい方法で導いてくれ、氷上で感情を出す事を恐れないよう教えてくれたのです。彼が滑る姿はとても官能的で、演技中に観客とどのようにコミュニケーションをとるかを見てみて下さい。彼がやることはすべて超クールなんです!
制作過程にも関わっていますか、それとも考え出されたものを滑るだけですか?
僕のプログラムには、ダニエル・グラスルとしての要素が少し入っています。僕は必ずプログラムの内容を自分の中に落とし込んでいますし、自分自身で考えている部分もあるんです。ブラウンとリショーとやった時は共同の作品を作りました。僕が動きやアイデアを出したりしました。例えば、前にやってプログラムの一つにこういう足の動きがありましたが、これは僕が思いついたものです。
プログラムの中にストーリーがあることが大事なんです。今年初めて、自分は何が好きなんだろうと考えました。そして、ストーリーのあるものを滑ると、演技がしやすくなることに気づいたんです。昨シーズンのショートプログラムは世界を救うというものでしたが(映画『インターステラー』と『アルマゲドン』が題材)、観客に何を伝えようとするものなのかがよくわかりました。
ちなみに、こういった事はスケーティングにも力を与えてくれます。その方が純粋に体力的に楽に乗れるんです。今年は、作品のコンセプトがより複雑だったこともあり、少し難しかったですね。だから、次のシーズンでは、ストーリーのあるプログラムに戻りたいですね。理想を言えば、映画のサウンドトラックに乗せて滑りたいです。もう伝えたように、僕は大の映画好きなので。
音楽も自分で選ぶのですか?
そうですね。大体の場合、リショーにいくつかの選択肢を提示して、その音楽がふさわしいかどうかを一緒に判断しています。
ダニエルは夏にアメリカへ行ったが、すぐに帰ってきた。何が違ったのか?そして、なぜホームでは全てがダメになってしまったのか?
昨シーズンは、ヨーロッパ選手権で銀メダル、グランプリで銅メダル…と大活躍でしたね。そして突然、すべてを投げ出して、夏にアメリカに移住した。何があったのですか?
そうですね、全てが悪くない感じでした。でもそれはまず、オリンピックという一つのことだけに集中できたおかげで、何事にも打ちのめされることがなかったからだと思うんです。だからこそオリンピックの後は、自分がどこに向かっているのか、何を望んでいるのかがわからなくなり、心に穴が開いてしまったんです。そして、オリンピック後の世界選手権での失敗があり…。僕は完全に迷子になってしまいました。
燃え尽き症候群でしょうか?
そうですね、恐らく。そして実質僕は自分で自分をトレーニングしていた様なものだったので、北京の後、何かを変えようと思ったんです。まあ正直に言うと、エーニャのリンクではとある問題が始まったんです。そこから発信されてるニュースを見てもらえるとわかると思います。そういうわけで、私は岐路に立たされたんです。
なぜアメリカなのか?アメリカは好きだし、住んでみたいと思っていたし、将来ハリウッドを制覇するのが夢なら、理にかなったステップだと思います。アメリカで大学への進学も考えていましたし。
しかし、アメリカのフィギュアスケートのトレーニングシステムは、まったく異なるものだということがわかりました。僕は意気揚々とトレーニングを始めたのですが、そこでのトレーニングは25分しかなくて、その後は自分自身で滑ることになってしまうのです。それが僕には合いませんでした。メソッドやリンクの大きさなど、すべてが違っていたのです……。そして何より、ホームシックになってしまったんです。家族と連絡を取ることは、僕にとってとても重要なことだとわかりました。
とにかくそこでわかったのは、本格的にスケートをしたいのであれば、戻ってくるしかないという事でした。正直なところ、怖かったですね。シーズンの最中にそんな決断は普通はしないので。スケート・アメリカでは、僕はもうパニック状態でした。
しかしその後、シェフィールドのグランプリ大会で初優勝を飾りましたね。すべてをコントロールできているように見えましたが。
そこでは4回転を1回跳びました。1本です。そう、1位にはなりましたが、自分が期待するレベルじゃありませんでした。とにかく、アメリカに戻り、荷物をまとめて帰国しました。友人、家族、愛する人たちからの大きなサポートを感じていて、モチベーションには何の問題もなかった。しかしリンクではもっと大変でした。みんなかなり忙しくて、主に僕と一緒にやってくれたのはアリサ・ミコンサーリでした。コーチは誰もシェフィールドに一緒に行ってくれませんでした。その時僕には精神的なサポートがとても必要だったんです。
とにかく、グランプリファイナルを前にして、すべてが崩れてしまいました。コーチたちは、ショートプログラムで僕に4回転を2回跳べるようにしようとしていましたが、僕はその準備ができていませんでしたし、彼らのプレッシャーに耐えられる状態でもありませんでした。
「ダニエル、君はすでに世界のトップ6に入っているんだから、リスクを冒してでも4回転をやってみようよ!」と言われ、何と答えることができたでしょうか。そんな内容のトレーニングは一度しかしたことがなかったのです。とにかく、ショートでは1本目の4回転で転んでしまい、2本目はもちろんやりませんでした。そして、フリーの前に体調を崩してしまい、最下位になってしまいました。
イタリア選手権に向けた準備もうまくいかず、まったく体調も回復できませんでした。でも重大なのは、表彰台を逃したことではありません。エーニャでの居心地が悪くなってしまったことなのです。練習のプロセスは崩壊し、リンクではもうカオスで、僕はサポートされていると感じることができませんでした。トレーニングも大会も楽しめなくなってしまいました。そしてまた、僕のチームには僕より強いスケーターがおらず、並び立ちたいと思う相手もいませんでした。僕にとってそれは本当に重要なことなのです。僕は競争することが好きなので。
そして、ミラノオリンピックのメダル獲得という夢に向けて、サポートしてくれる場所を見つけなければならないと思いました。
オリンピックのシンボルが描かれたタトゥーも入っていますね。
はい、夏に姉妹とペアでタトゥーを入れました。私のは五輪だけで、彼女のは「my brother」と書いてあるんですが、かっこいいでしょう?
トゥトベリーゼチームへの移籍:どこで出会い、どう決まったのか?
話は12月末に戻りますが、どのような選択肢を検討されましたか?
アメリカはもう違うなと思いました。彼らのシステムが僕に合わないことに気づいたからです。カナダも考えたのですが、カナダでのトレーニングには多額の費用がかかり、連盟もその費用を負担してくれませんし、家族にも負担をかけることができませんでした。フィギュアスケーターの中にも友人がたくさんいるのですが、彼らにいつも、世界のいろいろな場所でトレーニングするのにいくらかかるか聞いているんです。だから値段のことは知っています。
今、ヨーロッパには、僕がスケートをして幸せになれるような場所はないのです。
「クリスタル」でやるという考えはどのようにして生まれたのですか?
僕はいつもエテリ・トゥトベリーゼの元でトレーニングを受けたいと思っていました。以前には、短い期間のトレーニング研修やトレーニングキャンプの話がありました。でも、パンデミックや政治的な状況もあって……とにかその機会に恵まれなかったんです。
そして、イタリア選手権の後、クラブの会長であるニコレッタ・イングシが僕に声をかけてくれました。僕にとってとても重要な人物で、彼女は僕の代理人でもあり、大好きなヨガの先生でもあり、まるで家族のような関係の人なんです。その彼女に、モスクワに行かないか、と言われたんです。
エテリと僕は既に知り合いではありました。彼女がボストンにいる娘のところに来ていた時、僕はそこでトレーニングを受けていました。それに、僕たちはお互いにブノワ・リショーと協業したことがあり、エテリは私の状態を彼に聞くことができたのです。トゥトベリーゼとイングシは電話番号を交換していて、12月にニコレッタから、僕を雇う準備ができているか彼女に電話で聞いていたのです。
正直なところ、僕自身はそんなことをする勇気はなかったので、そんな選択肢を考えてすらいませんでした。政治的な状況を考えると、まったく非現実的な話だと思ったのです。しかし、ニコレッタと、そして後に連盟(そしてスポンサーまで!)は、それが正しい行動であり、何も恐れることはないと僕に確信させてくれました。
そんなこんなで、新年早々、モスクワに行くことになりました。
真剣な一歩ですね。このニュースがソーシャルメディア上でどのように受け取られるかはわかっていましたか?
恐らく、これは人生で最も難しい決断だったと思います。でもみんなが、これはチャンスだと言い続けてくれました。イタリア選手権の後、僕は全然休まらない状態にあって、1週間リンクに行かずに大泣きして、ベッドから出る気にもなれませんでした。うつ病と言えるかもしれません。とても嫌な気分でした。エテリでなかったら、僕はフィギュアスケートをやめていたかもしれません。
その時は、世間的にどんな反応をされるのか、想像ができていませんでした。僕はもう少し違う展開になると思っていたんですが、クリスタルでの写真がネット上に出た時、それだけで怒涛が押し寄せました。
その日、ソーシャルメディアにアクセスしましたか?
嫌なことを書き始める人がいたので、僕はすぐに個人的なメッセージとコメント機能を停止しました。ちょうど精神的に大変な事があった後、正気に戻り始めていたところだったので。とにかく、ひどい日々でした。
しかし、クリスタルへ移ったことに気づかれないようにと思っていたわけではないですよね?
自分でも発表しようと思っていたんですよ、もう少し後に。でも残念ながら、僕はロシアでフィギュアスケートがどれほど人気があるのかがわかっていなくて、ニュースの絶好の機会になってしまいました。でも悪いことばかり書かれていたとも言えません。僕は何も読まないようにしていたのですが、友人がSNSを見ていて、良いコメントもたくさんあったと教えてくれました。
また、ロシアのファンにはとても驚かされました。応援や幸運を祈る言葉とともにアルバムを贈ってくれたんです!本当に嬉しかったですね!このおかげで頑張れました。
ロシアへ移ることを多くの人に理解してもらえなかったのはなぜだと思いますか?
おそらく主な理由は、一般的な政治情勢と、北京でのカミラの件でしょう。また、人は噂で判断してはいけない、実際は全然違うこともある、ということも実感しました。
アンチ・ドーピングの問題については、イタリアの連盟と常に連絡を取り合っています。どんな状況にも対応できるよう、厳格な手続きをとっているので、そのあたりはイタリア連盟が担当してくれています。
自分がなぜクリスタルにいるのか、その理由はわかっていますし、自分の道を歩んでいこうと思っています。
「クリスタルに来たのは、回転不足を直し、高いGOEを得るため。見せ方やスケーティングに何を足さなければならないかわかっている。」
2018年のオリンピックをご覧になったとき、メドベージェワ選手やザギトワ選手が練習したのと同じリンクで練習することを想像できましたか?
これは信じられないもので、フィクションの中の話のようでした。まさかエテリが僕をチームに入れることに同意し、僕が誰であるかまで知っているとは思いもしていませんでした。
面白いことに、僕の知っている何人かのスケーターからも、もし可能なら自分たちも「クリスタル」で練習しに行くだろうと言われたことがあります。これは経済的な話ではなく(例えば僕の場合、連盟とスポンサーがお金を出してくれています)、トゥトベリーゼは誰でもトレーニングさせてあげるような人ではないという話です。
なぜなら、もしチームに誰かを受け入れれば、彼女はその選手に自分のすべてを注ぎ込むからなんです。
モスクワでのトレーニングに何を期待していましたか?どのような変化を求めていましたか?
まず、ジャンプとその安定性に取り組む必要がありました。また、見せ方やスケーティングにおいて、何を追加する必要があるかもよく分かっています。僕にはこの問題において進むべき方向があるのです。そしてジャンプについては、いくつかの回転不足を修正し、より高いGOEを得ることを学ぶためにやってきました。僕は 「クリスタル」で練習している女の子たちが、ジャンプでどんな追加点をもらっていたのかを見ていました。+5の評価が付いたんですよ!
モスクワに移られたと思いますが、新しい土地に慣れるのは大変でしたか?
そうですね、銀行カードは使えないし、VPNを通してしかソーシャルメディアにアクセスできないし、ネットフリックスさえも見れないしで、大変でした。なのでニカ・エガーゼの助けを借りて、両替機の使い方を学ばなければなりませんでした。僕とモーリス・クビテラシビリ、ニカの3人でアパートを借りていて(みんなツトベリーゼの教え子 である- Sports.ru)、日々のことでいろいろ助けてもらっています。まだカードは持っていないので、現金でやりくりしています。アパートはリンクからそれほど遠くなく、歩いて10分程なのですが、モーリスが車を持っているのでよく送ってもらっています。
VPNの使い方は、スポーツ中継を見るために使ったことがあるのですでに知っていました。でも正直言うと、いつもスイッチのオン・オフを忘れてしまうんです。
地下鉄にはもう乗りましたか?
まだです。みんなに勧められるんですけどね、ハハ。
モスクワでおいしいピザは見つけましたか?
正直なところ、まだです。レストランで何度か食べたことがあって、まあ、すごくおいしかったんですが、イタリアのピザではありませんでした。ただ、一度だけコーチに誘われて、モスクワシティの最上階にある素敵なレストランに行ったことがあるんです。そこは本当においしかったんですが、何よりそこで初めてロシアでのフィギュアスケートの人気の高さを実感しました。みんな写真を撮ってくるんです。もちろん、エテリ目当てですけどね。イタリアでは事情が違っていて、誰も僕のことを気にも留めないので。
とにかく、現時点でモスクワにいる間は「家=リンク」という感じになっているので、あまり何も見ることができていないです。もっと暖かくなったら、色々見れるかもしれませんね。
今は、完全にトレーニングに集中しています。ロシアではヨーロッパの時間に合わせて生活しているので楽だし、時差による調整も必要ないので。寝るのは夜中の1時前です。でも「クリスタル」では練習が始まるのがイタリアよりも遅い時間なので。以前イタリアでは朝7時にトレーニングをして、午後3時には終了していました。でもモスクワでは、大体10時から18時くらいまでリンクにいます。
モスクワでのトレーニングは何か違いますか?
より集中的で、主に精神的に鍛えられます。リンクは毎日、小さな大会のようなものです。6分間のウォームアップをした後、順番にプログラムを滑ります。僕にとってはこれは慣れないことで、あまり簡単なことではありません。というのも大会では、常に精神的なプレッシャーに対応することができるわけではないからです。なので、トレーニングでリラックスすることはできません。でもそのおかげで、自分の弱点を克服し、緊張しないようにすることができるのです。
もうこのシステムには慣れてきて、恐らくもうトレーニングで震えることはありません。とはいえ、慣れるための過程が完全に終わったわけではありません。イタリアでは、氷上トレーニングは1日3回、40~50分でした。モスクワでは1時間半、1日2回のトレーニングで、感覚も筋トレの仕方もまったく違う。40分間で全力を出し切ることに慣れていたのですが、もっとプラスしないといけないので、これはまだつらいですね。
氷上以外のトレーニングは逆に少ないです。ほとんどダンスですね。
では、アレクセイ・ジェレズニャコフのクラスを試したことがあるのですね?
はい、ジャズとコンテンポラリーダンスを。今までやっていたものとはちょっと違うし、正直、自分のダンススタイルとは違うんですけどね。周りの人はみんな上手なんですけど、僕はまだそういう動きに慣れていないんです。
ジムには通われているのですか?また、お気に入りのヨガは?
今はジムではまだあまりたくさん運動していませんが、シーズンの終わりにはもっとやろうと思っています。ヨガもまだちゃんとできていません。一日中リンクにいるので、時間がないんです。ニコレッタとはいつも連絡を取り合っていますが、友人としてだけですね。まだオンラインでのレッスン等は試していません。
でも、イタリアのカウンセラーとは、インターネット上で診てもらうようになりました。彼女の助けがなかったら、どうなっていたかわかりません。僕は、人が僕について言うことを気にせず、もっと自分を信じ、自分の決断を信じることを学ぶ必要があるのです。外から何を言われようと、僕は幸せになりたい。これは僕の人生で、僕が決めるものなので。
欧州選手権は、僕の人生の中で最も困難な大会でした。フィンランドに向かっていた時、僕は他人の意見に依存しすぎていました。大会前、なぜかYouTubeで中継を見てしまい、僕が転ぶこと、ジャンプをミスすること、全般的に失敗することを願っている内容を読んで、ゾッとしました。
その後モスクワに戻ると、カミラ・ワリエワが話しかけてくれました。彼女はインターネットで僕のことが書かれているのを見たから心配している、と言ってサポートしてくれました。彼女は、そういったコメントからは距離を置くことを学ぶといいよと言ってくれました。彼女は自分が何のことを言っているのかよく分かっているのです。
この半年で、僕はスケーターとして、そして人間として大きく成長しました。より賢く、より強くなりました。来シーズンが楽しみです。もう準備はできています。
「限界までトレーニングする事と、コーチが今までの自分にないものを引き出してくれる時が好き。」
演出に関して、新しいものはもう決まっていますか?
まだ話し合っていません。ここではシーズン前に演出がどうなっているのか、プログラムがいつ演出されるのかなど、まだ把握できていないところがあります。先ほど言ったように、頭の中に映画の具体的な音楽があるのですが、それはコーチと相談することになります。
衣装もモスクワで作るのですか?
わからないですね。それはエテリが決めることだと思うので。僕の認識が正しければ、それは大体彼女が担当しているはずです。
選手にとっては、そういった心配りをしてもらえること、決断を後押ししてもらえることで、安心できるのですね?
はい、もちろんです。僕は前にも気づかってもらってきました。特にロレンツォ・マグリには非常に感謝しています。彼がいなければ僕はオリンピックに行けなかったし、今の自分もいなかったでしょう。彼は僕にたくさん力を注いでくれました。しかし、エテリは多くの決断を下してくれます。何がどのように機能しなければならないかを正確に把握しているんです。選手にとっては、そのようにやってもらえることで本当に楽になるのです。
振付の面で、ダニール・グレイヘンガウスとの共同作業についてはどのようなことが言えますか?
フリープログラムのステップを変えることができたので、彼との協業は楽しかったです。でも、来シーズンは誰が私のプログラムの振り付けをするのかまだわかりません。これはエテリの判断に任せます。
宇野昌磨は一時期、「クリスタル」で練習しようとしたことがありましたが、かなり早い段階で去ってしまいました。今はその理由がわかりますか?
ええ、わかる気がします。でも、僕は限界までトレーニングすること、そしてコーチが今までの自分にはない何かを引き出してくれることがとても好きです。そしてエテリは、選手が身体能力の限界に挑戦し、最高のパフォーマンスを出せるように導く方法を知っています。常にプレッシャーの中で練習をするのは簡単ではありませんが、徐々に慣れてきました。
今はまだ、トゥトベリーゼがリンクの端に立っていると、演技するのが難しいとおっしゃっていましたね。なぜですか?
トゥトベリーゼの元にはトップクラスのスケーターがたくさんいるので、彼女を失望させたくないという思いがあります。それに、責任感を感じるんです。何しろ、彼女の指導を受けてまだ数カ月しか経っていないのに、誰もが私たちに魔法のような結果を見せることを期待しているのですから。カメラで撮影され、氷上での一挙手一投足がルーペで観察されているんです。僕はその期待に応えたいと思っています。
競争力の高い環境でトレーニングする方が楽だとおっしゃっていましたね。「クリスタル」は、それについて何の問題もないような環境ですね。
ええ、そうなんです! 誰かが僕の隣で何本も連続してジャンプしてくれたら、本当に興奮するんです。そういうのは僕のモチベーションを高めてくれますね。
もうひとつ、僕は昔から男子よりも女子のスケートを見るのが好きなんです。男子の競技を見ると緊張して、画面の前でもすぐに競争モードになってしまうんです。だから、女子のほうが落ち着いて見られます。それに、ロシアの女子は、完全に男子レベルの難易度でジャンプしているので、それもモチベーションを上げてくれます。無駄にいつも、アンナ・シェルバコワと同じ氷の上で練習するのが夢だと言っていたわけではないんです。
「クリスタル」のどの選手と一緒に練習しているのですか?
サーニャ・アカチエワ、カミラ・ワリエワ、モーリス・クビテラシビリ、ニカ・エガーゼ、アルセニー・フェドトフ、アデリア・ペトロシアンと同じグループです。ロッカールームは僕とニカで共有しているので、だんだん慣れてきました。
コーチから、イタリア語ではどう言うかと聞かれることもありますが、トレーニングでのコミュニケーションはほとんど英語です。また、ロシア語では、すでにいくつかのフレーズを理解できます。例えば、「ゴブノ(クソ)」という言葉などね、ハハ。真面目な話、アンゲリーナ・トゥレンコの元でも長い間トレーニングをしていたので、ロシア語の基本的な用語は以前から聞いていました。
トゥトベリーゼチームのショーツアーには参加されるのですか?
いいえ、トレーニングに集中したほうがいいと判断しました。今はしばらくモスクワに戻り、その後イタリアに寄って、世界フィギュアスケート国別対抗戦のために日本へ飛びます。そして、1カ月間アメリカへ行く予定えす。ボストンでは素敵な家族の家に住まわせてもらってことがあったのですが、今でも彼らとは本当にフレンドリーな関係で家に遊びに行けるような関係なんです。なので、そこで休暇を過ごして、少し旅行もする予定です。今はニューヨークとマイアミに行くことを計画中です。
僕は今年、これまでの人生の中で一番たくさん色んな場所へ移動しました。両親と離れて暮らしたことがなかったので、このシーズンは大きな変化の時でした。アメリカでは一人でしたし、モスクワでは、モーリス、ニカ、僕の3人という小さなグループでの生活です。それぞれ自分のことで忙しくしているので、他人との境界線を尊重するようにしています。なので、家ではほとんどの時間を別々に過ごしています。
モーリス・クビテラシビリは、海外でのトレーニングで一番大変なのは一人に慣れることだ、と漏らしました。これにはどのように対処していますか?
確かにそれは難しことですね。故郷のことはとても恋しいです。モスクワではまだ孤独で、親しい友人もいませんから、簡単にはいきません。イタリア人の友人には毎晩電話をしていますが、もちろんそれだけでは足りません。それに、僕には言葉の壁もありますから、その面でも大変です。
ロシア語をどうにか向上させる計画はありますか?
今、その最中です!(ロシア語で回答)「1袋ください」「現金で」等……僕はほとんど毎晩のようにスーパーに行っているんです。
好きなロシア料理はありますか?
スープがとても好きです。特にボルシチとシーです。昼食はいつもリンクの食堂で食べ、夕食は家で作ります。ぺリメニも食べてみましたし、パスタも作れますよ。でも、たいていは料理屋さんで出来合いのものを買います。
モーリスとニカには、まだ本格的なイタリアンパスタを作ったことがないですか?
ないですね、残念ながら。でも、僕の家のお気に入りのレシピがいくつかあるので、作らないといけないですね。
写真:RIA Novosti/Vitaly Belousov; globallookpress.com/Lintao Zhang, Yohei Osada, Claudio Benedetto, Naoki Nishimura; instagram.com/daniel.grassl_official
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