ロシアのフィギュアスケート選手ヴェロニカ・ジリナがトゥトベリゼからプルシェンコへの移籍について語った。
インタビュアー:傍から見て、あなたはクリスタルでは全てがうまく行っていたようですが。どう行った理由で結局コーチを帰ることになったかお話しできますか?
ジリナ:全ては話したくないかな。個人的な理由で、と言っている。ロザノフ先生に呼ばれて、それに同意した。ただクリスタルでは彼は誰よりも私をトレーニングしていて、いつもレッスンへ来ていた。なのでそうなった。
そうしてプルシェンコ先生の元へ行き、少し時間が経ってから我々のところへ母が移ってきた。私にとってこれはとても重要だった。母と一緒の方がやりやすい。彼女がそばにいると、すぐに力が沸いてくる。
インタビュアー:お母様と一緒に練習するのは総じて大変ではない?どうにか家と練習の区別をしなければならないでしょう、でも実際のところずっと一緒ですよね。
ジリナ:いいえ。私はただ彼女の意見を記憶に留め、実行するよう頑張っている。家でミスを議論する、もちろん、そんなに頻繁ではないけど。彼女はただ何を直す必要があるか気づかせてくれる。
インタビュアー:移籍に際してどの様な変化に気づきましたか?
ジリナ:もうそれほど強く不安にならなかった。やはりもう他のコーチと練習する経験があったから。なのでただもうできることをやるよう頑張った。
ここでは課題へのアプローチが違う。どこかが痛かったり何か怪我があれば、少し負荷を減らし痛まないことをする。クリスタルではもっと厳しく、もし痛みがあっても、それでもジャンプせねばならない。結局怪我が進んでしまい、それで…
ここでは、より家族のような雰囲気があると思う。でもこれはすぐさま感じた訳ではなかった。
初めはジャンプが音楽をかけた状態では決まらないことを心配した。今は滑り込んでもう心配していない。
インタビュアー:どうしてすぐにはその雰囲気を感じなかったのでしょう?
ジリナ:その時はトゥトベリゼ先生の元から移ってきたばかりだった。クリスタルでは、何かあまり良くない出来だと叱られるのではと思っていた。そしてこちらへやってきても同じようにずっと何かを恐れていた、ははは。
あちらでは誰も生徒をいじったりせず、全てが厳しかった。もし正直に言うなら、コーチたちと話すことを少し恐れていた。今はもう恐れはなくて、馴染んだ。

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