タラソワとモロゾフ。これは逃されてしまったチャンスの物語だ。我々には素晴らしいペアがいたのに、誰にも必要なかった。

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タラソワとモロゾフが現役引退を発表した。

エフゲニアとウラジーミルは、ついに自己実現することができなかった。

エフゲニア・タラソワとウラジーミル・モロゾフは、明白な事実を認めることに決めた。2度のオリンピック銀メダリストである彼らはキャリアの終了を発表した。これはかなり前から度々質問されていたことで、タラソワとモロゾフが北京オリンピックの直後にスケート靴を脱がなかったこと、すなわち引退をしなかったことに、多くの人々が驚いていた。そして、今シーズンを欠場すると話していた彼らが氷上に戻ってくると期待するのは甘かっただろう。エフゲニアとウラジーミルは、嘘の希望を抱かせて自分自身と観客をだますようなことをしなかった。彼らに敬意と称賛を表したい。しかし今、総括をするにあたりまず言いたいのは、選手たちがどれだけのことを成し遂げられなかったか、そしてもはやもうそれはできない、ということだ。

ペアとしてのキャリアのスタートにおける呪い

エフゲニア・タラソワとウラジーミル・モロゾフは、近年のロシア・フィギュアスケート界で最も物議を醸した選手達の中に入っている。一方で、彼らの才能は否定できない。タラソワとモロゾフのスローとリフトは、今でも若いペアのお手本となっているし、エフゲニアとウラジーミルのスケーティング技術は、スター選手であったタチアナ・ボロソジャルとマキシム・トランコフを思わせるものがある。そして多くの点で、彼らを上回ってさえいた。一方、タラソワとモロゾフのような不安定なペアを見つけるのも難しい。ほとんどすべての大会で、彼らは結果に直接響くような失敗を犯してきた。エフゲニアの3回転サルコーは、一時は語り草になった。彼女が着氷できるかどうかの予測が不可能だったからだ。その結果、信じられないほどのポテンシャルを秘めたこのペアは、最も名誉あるタイトルを手にすることができなかった。ヨーロッパ選手権での2つの金メダル、グランプリファイナルでの優勝、そしてロシア選手権での優勝、それだけだった。

タラソワとモロゾフのキャリアは敗北の物語である。信じられないほど劇的で、屈辱的で、そしてしばしば不当なこともある、失敗の物語であった。その呪いは、2人のペアとしてのキャリアがまだ始まったばかりの頃に追いついてきた。2回目のジュニア世界選手権で、彼らは優勝に向かっていたが、不運にもショートプログラムで失敗し、フリーでも状況を改善できなかった。その結果、銀メダルとなった。次の敗北は、彼らにとって忘れがたい平昌五輪の個別種目の時である。2人はショートプログラムを見事にこなし、かの素晴らしいスイ・ウェンジン(随文静)/ハン・ツォン(韓聰)に1点足らずの点差で付けた。エフゲニアとウラジーミルのフリースケーティングはより力強いもので、金メダルを狙いに行った。しかし、結果は悲痛なものだった。スケーティングの冒頭で転倒し、4位となってしまった。これを不幸な運命だと信じないことがどうしてできようか。あの時、タラソワのことを「水玉模様のドレス」と批判せず彼らの失敗を予想しなかった者などほとんどいなかったのだから。

彼らは深刻な個人的危機を経験したが、プロであり続けた

5年前の2018年のオリンピックのフリーは、このペアを葬り去るところだった。演技の後、彼らは部屋で非常に緊張した会話をしていたということがわかっている。すべて感情的なものから出たということは理解できるが、ウラジミールはパートナーに、忘れることも許すことも難しい言葉をかけた。「私は、この近しい人から、勝てないと言われた。」エフゲニアは後日、RIAノーボスチ紙にその会話の詳細を語った。「それは私の魂に入り込み、頭に入ったの。それを忘れるのは難しいわ。ストレスがあって言ったとだと思う。でも、私は傷つきやすい人間で、すぐに気分を害してしまうの。特に信頼している人に対してはね。」通常、アスリートの私生活について語ることは慣例ではないが、ここではそれを抜きにしては語れない。当時、タラソワとモロゾフは氷上だけでなく、人生においてもカップルだった。

ウラジーミルが言ったことを最後まで許せなかった。彼らの生活からロマンスは完全に去ってしまった。しかし、最も驚くべきことは、それでも彼らが一緒にスケートを続けていたことだ。20歳を過ぎた彼らは、もう新しいパートナーは探さず、一緒にやり続けるならオリンピックでのチャンスがあると理解していた。だから、何があっても悔しさを克服し、努力する必要があるのだ。このドラマをさらに盛り上げたのは、タラソワの私生活の新しいパートナーがふたりの永遠のライバル、フョードル・クリモフだったという事実だ。クリモフとエフゲニアは、フョードルがクセニア・ストルボワとのペアを解消した後に急接近したのだ。しかし、いずれにせよ、ウラジーミルは休日に撮られた2人のツーショット写真を見て、嫉妬の感情を避けることは難しかった。ここで彼らのプロフェッショナリズムに感嘆せずにはいられない。疑念があるにもかかわらず、彼らは仕事のために個人的な感情を一旦脇に置いておいたのだから。

国内初のペアは初心者コーチに託された

平昌での失敗の後、彼らはまるで十字架を背負わされたようだった。二人は、その生みの親であるニーナ・モゼルコーチを信じることをやめた。「タラソワとモロゾフは古いプロジェクトです。私は未来に目を向けています」とニーナ・ミハイロヴナは率直に語った。どのような理由でこのような変容が起きたのかは推測することしかできないが…。いずれにせよ、この国を代表するペアのコーチを任されたのはマキシム・トランコフだった。一般的に、王者がコーチとして成功することはほとんどない。なぜなら、コーチは往々にして個人的な経験に頼ろうとするからだ。そしてその経験は実際はそれぞれで全然違うものなのだ。トランコフの場合、彼自身のモチベーションにも疑問があった。というのも、彼はリンク脇にいるよりもテレビに出ていることの方が多かったからだ。

マキシム・レオニードヴィチは専門的な教育を受けておらず、彼自身も経験不足を認めていた。とはいえ、この新米コーチがロシアの主力を一手に引き受けたことを戸惑う者はいなかった。誰もがトランコフの肩書きでそれを正当化したのだ。その結果、何もいいことがないとわかると、タラソワとモロゾフはマリーナ・ズエワに会うためにアメリカに行った。これもまた冒険だった。マリーナはロシアの現実から遠ざかり、ペアスケートにはほぼ30年間ほとんど関与していなかったのだ。このダンスのトレーナーとの実験は大混乱に終わった。ウラジーミルとエフゲニアは、エテリ・トゥトベリーゼのもと、 「フルスタルヌイ」に行き、それはエテリ自身にとってもペアでの初体験となった。劇的な変身はなかったが、一方でライバルたちが成長してきた。アナスタシア・ミシナとアレクサンドル・ガリャモフ、アナスタシア・ボイコワとドミトリー・コズロフスキーらだ。

誰も彼らを信じなくなったとき、2人は人生最高のスケーティングを披露した。

計算では、北京オリンピック前、タラソワとモロゾフは3組手のペアだった。多くの人々は、ベテランがオリンピックに行くことの妥当性を問題視し、例えば、ダリア・パブリュチェンコと組んだデニス・ホジキンにチャンスを与えることなどを提案した。しかし、エフゲニアとウラジーミルはそれでも中国に飛んだ。そして、彼らは非常に印象的な演技を披露し、ジャッジ達がホームである中国の観客の休日を台無しにしないよう最善を尽くし、金メダルを中国に残すように努力をしなければならないほどだった。「金色を帯びた銀」という表現は、スポーツの世界では蔑称とされることが多いが、これはまさにその名が適切で必要なケースだ。ウラジーミルとエフゲニアは、エネルギー、スケーティングの美しさ、美的総合性、そして技術(特にペアの要素)において最高だった。敗戦に怯えたスイ・ウェンジン(随文静)/ハン・ツォン(韓聰)は4回転スロージャンプを余儀なくされたが、それでも勝利を保証するものは何もなかった。

残念ながら、明確なハッピーエンドは起こらなかった。現実の人生は映画ではない。むしろよく逆のことが起こってしまう。人生は限りなく不公平で不親切なものだ。しかし、好きな仕事を途中であきらめるか、最後まで目標に向かって突き進むかは自分次第だ。何があろうとも。タラソワとモロゾフには、あきらめる理由がいくらでもあった。しかし、彼らは諦めず、あの北京オリンピックでベストを尽くした。彼らのこれまでの旅と成功に感謝し、彼らが次に何を選ぶにせよ、幸運を祈るだけである。

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