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フィギュアスケート界のジャンプのエース、セルゲイ・デュダコフがチャンネル・ワンのマキシム・タランコフのポッドキャストに出演した。90年代に駅の売店で仕事をしていたこと、エテリ・トゥトベリーゼと働くようになった経緯、グループの中にお気に入りの選手がいるかなどを語ってくれた。
以下、二人の会話をテキスト形式で紹介する。トゥトベリーゼ、ダニイル・グレイヘンガウスとのトリオの中で最も無口なデュダコフのインタビューは、間違いなくセンセーショナルな出来事だ。
デュダコフは平凡なフィギュアスケーターだった。なぜ彼はもっと良い成績を残せなかったのか?
なぜインタビューにめったに応じないの?
インタビューに答えるのが好きではないからね。
君は言葉よりも行動派だから?
そうだね、たぶんそう。インタビューに答えるより仕事をしたいんだ。
子供の頃の話から始めよう。誰が君をリンクに連れていってくれたの?
それはもちろん両親だよ。1975年12月頃だったかな。なんでホッケーじゃなかったのか?恐らく母の方が強かったのと、彼女には強い理由があったんだろうね。当時はフィギュアスケートがとても流行っていたから。76年の5月にはマリーナ・クドリャフツェワが、彼女のグループで初級トレーニングに参加する子供たちを選抜していたんだ。
じゃあ、ほとんどずっとクドリャフツェワらのもとでスケートをしていたんだね。
そうだね、最初から最後まで。
ジュニア時代には成功もしたと思うけど、スーパースターになったとは言えないよね。
そうだね、シニアになってからは6位とか7位とか平凡なものだったよ。ジュニアでは、1984年にソ連チャンピオンになって、あと、ジュニア時代に1986年のワールドカップに出場して、その時は代表の3番手に選ばれた。
なぜその後、そのジュニア代表の域を超えることが出来なかったの?
その時のことを分析したよ。今、コーチとして言えるのは、精神的鍛錬が足りなかったということかな。忍耐力がね。どこか燃え尽きてしまったんだ。
でも、教え子を通して自己実現したんだね。やはり満足感があるんじゃないだろうか。
いや、常に前に進みたいんだ。私の教え子だけでなく、私たちの共通の教え子にそうなってほしい。エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリーゼ)、ダニイル・マルコヴィチ(グレイヘンガウス)の教え子にも、そしてもちろん私の教え子にも。
デュダコフはドイツから車を走らせ(運転はできない)カリブ海を船で進んだ。飛行機に乗るのは怖かった。(今シーズンはだいぶマシになった)
スポーツをもうやめようと思ったのはいつ?
91年に理解し、決断した。僕はわかっていたんだ。代表に選抜されるかどうか、選抜上位3人以内に入れるかどうかはもう……。
その時、上位3人には誰が入っていた?
いい質問だね。ウルマノフ、オレグ・タタウロフ、ドミトリー・グロモフ。みんな今はコーチになっているよ。
すぐにコーチになったわけではない?
そうだね。次に出てきたのは、何をするか?ということだった。スケートができるのだからすべきなのは……と思ったんだが、その当時はもう21歳だったし。本気でやるのは無理だと思ったから次に進むことにした。ショーに挑戦することにしたんだ。誘いが来て、イギリスで2年、その後ドイツで3年やった。
ソ連の子が、そのままアングロサクソンのところに行ったというわけか。対照的な事があっただろう。
特別対照的な事はなかったよ。対照的だと思ったのは契約制度ぐらいだね。自分の行動についてすべて契約に書き込まれるから。ロシア人にとってそれは斬新だった。リハーサルに遅刻したら罰金を払うんだ。
ロシアで初めて買った外車はどうやって手に入れたの?
その車は盗まれたんじゃなかったかな?1シーズンイギリスで仕事をしたんだけど、車を持つのはずっと夢だったんだ。運転免許は持ってたけど、運転の仕方はまったくわからず、運転理論だけ知っていた。で、すでに買っていた車を引き取りにドイツに飛んだんだ。
じゃあ、車はその時まだ見たこともなかったの?
うん、年式と走行距離しか知らなかった。それだけで大丈夫だった。それで飛行機に乗って行って、車を受け取って、その後モスクワまで行った。運転ができない僕は、モスクワまで車を走らせたんだけど、整備士に運転してもらったんだ。
ショーで滑っていた時、コーチになるということがすぐにわかったの?
いや、その時は考えてなかった。
あと船もあったよね。
そう。あれが僕のショーでの仕事の最後の時だった。
不思議に思うんだけど、船に乗って、船室で生活するんだよね。どこでも自由に歩き回れるわけじゃなかったんだね?
まあそうだね、ひとつの船室は2人ベッド×2だった。船内では許容される範囲があった。アイスショーに出る者は士官という身分だったから、歩き回ることはできたよ。
バーにも行けた?
そうだよ。行ったよ。
どのぐらいの期間船上にいた?
6ヶ月契約だった。2週間のリハーサルがあって、6ヶ月の契約。カリブ海の上を進んでいるなんて面白かったね。進んでるんだからね!色んな新しい島々は全てがとても興味深かった。とてもエキゾチックな場所で、美しい海、完全に澄んだ水。船の喫水は9メートルで、港に泊まっていると底が見えて、魚が見える。驚くほど美しかった。
僕からちょっと内緒の質問で、飛行機が怖いと聞いたんだけど。
それはあるね。でも、今年はだいぶマシになったと言える。
当時の船の中にいる時はどんな気持ちだった?
穏やかだったよ。悩みも何もない。水が好きなんだ。心が落ち着く。
その美しさの中から、どうしてペレストロイカ後の寒いモスクワに戻ろうと思ったの?
決断の時はいつでも来る。もう十分だ、僕はそう言った。そこは自分の居場所ではないと理解したんだ。最初の2週間は特に楽しかったし面白かったけど、その後退屈で憂鬱になった。家に帰りたいと、ずっと恋しく思っていた。
「駅の普通の売店だった。スニッカーズ、水、レモネード、お菓子。」ショーや「クリスタル」で働く前はどんな感じだったのか?
契約後、モスクワに戻ってどこへ行くことに?
「クリスタル」さ!
売店へは?
売店はショーの前だね。
教えてほしいんだけど、君は実業家でもあるよね。
まあ、やってみたけどうまくいかなかったね。僕には向いてない。駅にある普通の売店だった。スニッカーズ、水、レモネード、お菓子。
「クリスタル」には何年いる?順調にいっている?
ええと、ちょっと待って。少し休養してから、2002年に「クリスタル」に入って、ゼロから氷の上で最初の一歩を踏み出す子供たちのグループを担当したね。
最初の給料のことを覚えている?
もちろん覚えているよ。あまり多くはなかった。
ショーの方が終わってからいくらぐらい損した?大きく違った?
最初の頃はそうだね。
それで後悔はしなかったの?
時が来ていた。31歳なら、あとどれぐらい続けられるだろう。一生滑るつもりはなかったし、18~19歳の仲間達と対等に見られるわけでもない。まだ間に合う内に辞めた方がいいんだ。
「クリスタル」の話に戻るけど、小さな子どもたちと一緒にいて退屈したことはない?
これは教育者として、またコーチとしての僕の最初の一歩だった。1年経つと、子どもたちは成長し、上手になってきている。子どもたちが進歩しているのがわかる。立つこともできなかったのに、滑れるようになっている。これも悪くないかなと思うんだ。
リンクにはいつも3組のグループと3人のコーチがいる。そして、向こうはどうなっているかな、なるほど、僕達の方はどうなのかな、と比較する。つまり、比較して何ができるかを確認するんだ。そして努力を続けるのさ。
一番大変だったことは何?
子どもは最初の一歩を踏み出すとき、目で見て吸収する。目で見て理解するんだ。だから、僕が自分で身に着けるところからスタートした。
今子どもたちは何歳くらいからリンクに連れてくるべきだと思う?
4歳。3歳の子もいるよ。驚くほど成長していて、理解もするし、コーチとも話すし、よく動く。みんなそれぞれだし、個人差がある。
4回転ジャンプの恐怖を克服するために、どういう手助けをしてあげられる?
モチベーションが上がらないとか、失敗する事もある。僕だけではない。エテリ・ゲオルギエヴナもダニイル・マルコヴィチも、全員がこのプロセスに関わる。僕たちは、選手が跳び始めた時に、ジャンプに余裕があるか、回転スピードがあるかどうかを目で見ている。もし選手が軸を絞ってもう少し空中にいれば、ステップアウトすることができる。最低でも3.5回転は。
そこから始めていけば良いんだ。ジャンプに正しく入り、軸をきちんと捉えていくことから。左右のどちらかに流されることなく。それができたら選手にこう言う。よし、よくやった、もう準備できてるね、やってみよう。それだけだよ。
でも、選手が初めて挑戦するときは、僕らもみんな心配になるよ。
トゥトベリーゼは、デュダコフをアシスタントに呼んだ。彼はすぐには同意しなかった。
君が「クリスタル」で子供たちを指導していたころに少し話を戻そう。シニアのフィギュアスケートというものは、どのように君の人生に入ってきたの?エテリ・ゲオルギエヴナは、どんな風に君の人生に現れたの?
2011年に彼女から電話があって、アシスタント、つまり2人目のコーチが必要だと言われた。僕はそれをやってみようと思い、承諾した。
なぜ、彼女は君に電話をかけてきたんだい?
それはエテリ・ゲオルギエヴナに聞かないことには。僕は聞いたことがないから。
それで、何の迷いもなく承諾した?後悔したことがあったかどうかは聞かないようにするよ……。
あの電話では、すぐに承諾する、とは言わなかった。責任があることだと理解していたから。当時、エテリ・ゲオルギエヴナには、ポリーナ・シェレペンやユリア・リプニツカヤという優秀な選手がいたことも知っていた。彼らが優秀で本気でやっている選手であることは知っていたし、その責任も理解していた。そして1週間後に彼女と話す機会があって、彼女は考える時間をくれた。で、同意したよ。
彼女とは敬語で、それとも親しく話す間柄だった?今はどう?
個人的な会話では敬語でない話し方で話すよ。でも、選手や他の人達がいる環境ではもちろん上下関係がある。そういう時はもちろん、エテリ・ゲオルギエヴナと呼んでいるね。
3回転は誰にでも教えることができるか?将来は5回転もあり得るか?
どんな選手にも3回転を教えることができる?
いや、誰でもというわけではない。
ジャンプを教えるのが難しいスケーターはいる?
いるね。ある程度までいくと2回転で止まってしまう人がいる。3回転の壁を越えられない人がいるんだ。
回転数の多いジャンプをマスターする上で、まず足りないものは何だと思う?
複雑だね。勇気が足りない人、体力が足りない人、色々な要素が足りていない人。心理的なものもある。 恐怖心があって、それを克服することができない人もいる。
子どものうちから回転数の多いジャンプの可能性をどこまで見出すことができる?また、できると信じていなかった子が他のコーチのもとでジャンプできたというように、君が間違っていたことはあった?
いや、そういうことはなかったね。
つまり、もし君が見ていて、この子は跳べないだろうと言ったなら、すなわちその子はできないということ?
すべては相対的なものなんだ。もちろん、能力やある種の才能を見ることもある。でも、勤勉さ、身体能力など、いろいろな要素を兼ね備えた人はたくさんいる。練習量をたくさんこなせる人もいるし。鍛錬に欠ける人や、怠け者な人、そういう選手もいる。
才能のある子なら一緒に難しいことに挑戦してみてもいい。その後は時間が経てばわかる。
見極める時に、いわゆる氷上の魚(頑張っても無駄なこと)だ、という事はある?そしてその子はできないのに、「いや、やる」と言ってやってしまう、そして自滅するというような。
あるね。ここでは難しいことはできないだろうなと思うことはある。
じゃあ、そういった時に選手に対する責務は何だろう?思いとどまらせることはできないかもしれないけど、選手を守らないといけないよね。
もちろん、何よりも体のことが第一だ。その子が私のところにやってきて、「4回転をやってもいいですか?」と言えば、もちろんすぐに「まだ準備できていないよ、練習してジャンプの高さを上げないといけない」と言うよ。
大人にジャンプを教えることはできる?例えば、ダブルトゥループなど。
今流行っているんだよ。大人でも2回転を跳ぶ人や2回転を習っている人を知ってる。
フィギュアスケートで僕らはどこに向かっているのだろう?君の目に映る未来は、5回転ジャンプ?
イリア・マリニンを見てみよう。彼はフィギュアスケート界を席巻した。4回転アクセルを余裕を持って決めたよね。彼を例に挙げるなら、試してみても良いと思う。
ワリエワ、トゥルソワ、シェルバコワ、オリンピックにおけるそれぞれの事について短く語る
君の3人の教え子が出場して、全員が金メダルをかけて争うなんて、心が張り裂けそうにならないかい?
正直なところ、張り裂けそうになるよ。3人の教え子は皆とてもいい準備ができていたんだ。それぞれの選手に長所があって、ある選手はある部分が強く、またある選手は別の部分が強い。
アンナ・シェルバコワを例にとると、彼女は与えられた場所、与えられた時間に最高のパフォーマンスを発揮できるアスリートだ。常にベストを尽くす、それが彼女の特徴だね。ジュニアの時も、特別プログラムの時も、彼女はいつもそんな感じだった。
サーシャ・トゥルソワは、妥協を許さず、常に攻め続けているように思う。自分のベストを尽くすために行動する。後ろ髪を引かれることなく、ただひたすら進んでいく、そんな子。
そういう妥協のない振る舞いは、コーチにとっては問題になったりしない?
「サーシャ、他の人がやっているような、今の時代に最適な内容にしようよ」と、サーシャに話したよ。そうすれば、泥沼にはまり込んで結局得点が伸びなかった、というようなことがないだろうと。
カミラ・ワリエワは、そのシーズン、全体的に調子が良かったね。彼女は完璧な状態だった。でも、彼女はあのような結末を迎えてしまった。心理的に対処できなかったんだ。オリンピックの個人競技(4位)を例にとると。
彼女らは皆、僕たちの子どもだ。家族の中に3人とか5人の子供がいるような感じ。
その家族の中でお気に入りの子はいる?
いや、僕は彼女らを自分の子供のように思っているけど、やはり自分の子どもにはみんなうまくいってほしいと願っていると思う。「この子はもっとうまくいってほしい」「この子はもう少し悪くてもいい」ということはないね。
でも、よくファンやジャーナリストは、ここでは誰々がより愛されていて、誰々があまり愛されていない、というようなテーマで憶測しているもんだから。
いや、それは単なる憶測さ。そんなものはない。彼らは皆、僕たちの教え子であり、僕たちの選手なんだ。彼らは試合に出て、互いに競い合っているだけなんだよ。
「トゥトベリーゼとグレイヘンガウスがいれば、お互いを100%信頼し、頼ることができる。リンクの上だけでなく。」
選手が上手くいかなかったとき、君はどうやってストレスを解消している?よく眠れなかったりする?バーに行ったりは?
バーには行くね、行かない理由はないし。そして分析また分析だよ。どんな場合でも諦める事はない。
僕が別の都市の大会に行っていて、エテリ・ゲオルギエヴナやダニイル・マルコヴィチがモスクワにいる場合、電話会議でどうするか決める。もちろん、議論はあるよ。練習日が終わった後、ウォーミングアップの後でも、ウォーミングアップで最初に滑る選手でない場合、何かうまくいかなかったときにどのコンテンツを使うか、とか。
最終的な決定権を持つのは誰?
エテリ・ゲオルギエヴナだよ。彼女はしっかり皆の話を聞いてから決断してくれる。
例えばだけど、2番目でいる方が楽だったりする?決めてくれる方が良いとか。
楽とは言わない。僕は自分の仕事をするから。責任を回避することはしないが、いずれにせよ決断はエテリ・ゲオルギエヴナ次第だ。
エテリ・ゲオルギエヴナは、チーム内で最も知名度も人気もあるよね。嫉妬心はない?3人でやっているけれど、エテリが一番デキるという感じがするとか。
嫉妬は絶対にないね。チーム共通の成功として受け止めている。僕たちはチームである、それが一番大事なこと。自分にも、みんなにもそう言っているよ。
チームの相性はどう?3人で長年一緒に仕事をしてきたと思うけど。
秘密はないよ。ただお互いを100%信頼し、頼ることができるとわかっている。リンクの上だけでなく。
言い合うことはある?
うん、あるよ。で、後になって自分を責める。「なぜ俺はかっとなってしまったのだろう?黙っていればよかったのに、なぜ状況を悪化させてしまったのか?」とね。でも、議論することで何かが生まれると思う。
デュダコフはリンク脇ではポーカーフェイスを貫いている。なぜそのようにいられるのか、本音はどうなのか?
自分は矛盾している人間だと思う?外見は冷静に見えるのに、中には情熱を秘めている。その情熱がなければ、こんな結果は出ないと思うのだけど。
言葉にするのは難しいね。
でも、君がリンク脇に立っている時、若者風に言えばポーカーフェイスなんだよ。
僕はアスリートと一緒に滑っているから、クロスオーバーもトランジットもすべて知っているんだ。
どうやって平静を装っているの?
わからないな。内面では色々起きているけどね。選手が何か上手くいかないとき…もしかしたらコツを教える必要はないのかもしれない。ただ一緒に滑って「さあ、これをやってみな、必ず成功するから」というエールを送ってるんだ。
でも、アスリートがリンクから戻ってきたときも控えめだよね。君が前にエッジカバーにキスをした事以外、リアクションをしたのを見たことがない。
スケーティングを分析するのに時間を使わないといけないからね。転倒などの明らかなミスを除いての分析だね。分析したら、選手と静かに真面目な会話をする必要があるんだ。
「マリニンを指導?やってみることはできるよ、うん。そういうアスリートを、自分達で育てていく必要がある。」
この仕事が好き?
うん、でも時々…
辞めたいと思う?
疲れや退屈といった感情の波はあるど、いや、もちろん辞めたいということはない。
コーチとして、何か夢や目標を持っている?教え子達と共に5回転ができるようになること?それか、世界選手権で10~15回優勝すること?
いや、そういった目標はないね。子どもたちがスポーツで成功するようにという思いで仕事をしているんだ。
もし仮に機会があれば、イリヤ・マリニンのようなアスリートを指導したい?
やってみることはできるよ、うん。そういうアスリートを、自分たちで育てていく必要がある。
女子と男子とでは、教え方に違いはある?
僕たちのグループをみて言えることは、女子はより規律正しいということ。男子よりも開花する時期が早く、12歳から16歳までが一番ピークの時期だね。男子はその時期が少し遅いんだ。
そこに至るまでは成長し続け、滑り続けなければならないと。
うん、そう思う。女子の成功を見ていると、挫けないし、あきらめない。
なんと、ドゥダコフはコンピューターゲームをする!?
普通の人間として、趣味や好きなものは?
昔から地理、歴史が好きだった。今はもっと深く掘り下げていて、歴史的な転換期について読んでいる。面白いよ。
じゃあコンピュータゲームは?
君が好きなのは知ってるよ。ゲーム部屋を覗いたからね!僕もゲームやるよ。
誰とやるの?
マッサージ師のディムカと。
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