
アレクサンドラ・トゥルソワがオッコ・スタジオを訪れ、リナ・フェドロワとのインタビューで、移籍やトゥトベリーゼとプルシェンコのメソッドを語った。そしてもちろんオリンピックのことも思い出してくれた。
彼女はまた、フィギュアスケートの哲学や勝つことについても語り、全体として、思慮深く判断力に富んだ新しい一面を見せた。それは、彼女の話し方(この点で大きな進歩があった)やイントネーション、説明する姿勢に表れている。
- なんと、トゥルソワはジャーナリズムの道に進む
- サーシャはどのようにエテリ・トゥトベリーゼのチームに入ったのか?
- 「チーム内では、みんな仲良くやっていた。でも、私にとって友達とは、良好な関係以上のもの」
- 「他のコーチへ移籍することを裏切りだとは思わない。それは成長だ。」
- プルシェンコと挑んだ世界選手権では、癖でトゥトベリーゼにジャンバーを渡しそうになった。これは移籍のサインか?
- 「7月に初めて最初の5本の4回転を含む演技をして、コーチ達は拍手してくれた。」
- 五輪で4回転を4本跳んだ後、トゥルソワは5本目をやめようと考えていた。それを判断したのは氷上だった。
- 北京の団体戦ではどのように決められたのか?
- 「1位もあれば、奨励賞もある」
- サーシャはほとんど趣味でスケートをしない。なぜか?
- 即答!
なんと、トゥルソワはジャーナリズムの道に進む
これは私にとってとても新しい経験です。とても嬉しいし興味深いんです。これまではコラムを収録してきただけでしたが、これからはポッドキャストで、そして次は解説をするんです。インタビューを私がやる機会ももらえるかもしれません。
サーシャはどのようにエテリ・トゥトベリーゼのチームに入ったのか?
特に誰かが何かを言ってきたわけじゃありません。私は選考会に行き、それから両親と話をしました。トレーニングに行って、指導を受け、アドバイスをもらいました。そしてその後言われたのは、次のトレーニングはこの時間だということでした。君を入れるとか入れないとか、試用期間があるだとか、そういうことはありませんでした。トレーニングで1回滑って、コーチ達は私を見た、それでだけでした。
私が覚えているのは、休暇から帰った時のことで、10日間の完全休暇があったんですけど、帰ってきて言ったのは、あそこ(以前トレーニングに通っていた場所)には行かない、エテリ・ゲオルギエヴナのトレーニングになら行く、でした。両親は「わかった」と言いました。両親は近づいていき、「見ても良いですか?」と尋ねてくれました。そして私は中に入れてもらえました。10日間何もしていなかったので、とても心配だったことを覚えています。でも、そんなことを考えながらでも、3回転ジャンプ全部と、3回転3回転のコンビネーションも跳びました。
大事な瞬間には、私はたぶん、絶対冷静にはなれないんです。ただオリンピックだけは、なぜかわからないんですが、落ち着いていました。ショートでは私の人生で最も落ち着いた演技ができました。本当に出たかったんです。いつもは不安で、出たいのか出たくないのか、疑わしい気持ちがあります。でもオリンピックでは、出番まであと何分あるのか数えながら、ひたすら待っていました。短時間でも、氷上にいる時間は足りなかったんです。これは特別な感覚でした。
そういう感じでいつも緊張していたし、(トゥトベリーゼとの)最初のトレーニングの前も緊張していました。でも、そこで滑っている選手たちをたくさん知っていたから、安心できました。
「チーム内では、みんな仲良くやっていた。でも、私にとって友達とは、良好な関係以上のもの」
チームの雰囲気はどれぐらい友好的だった?
とてもやりやすく、活気がありました。みんな、いつもエネルギッシュに練習していました。友好的という点では、それがどういう事を意味するのかさえわかりませんが。どういうタイトルを持っているかに関係なく、みんな仲良くやっていました。
スポーツでは友達はいないとよく言っているけど、今は、みんながとても仲良くしてくれたとも話したね。その状況はいつから変わり始めたの?
違うんです。それは2つの全然違うものなんです。私にとって友人とは、良好な関係以上のものです。私にとっての友人は、ちょっと違う人なんだ。今行っているのはうまく関係を築ける人たちだ。私は大体問題なく誰とでもうまくコミュニケーションをとれます。私は誰とでも助け合い、誰とでもコミュニケーションをとる準備ができています。私は決してコミュニケーションをとらない、私たちは敵同士だ、というようなことはないです。そんなことは一度もなかったし、今もありません。同じ場所にいれば、集まって話すことができますし、それは良いことだし素晴らしいことです。でも、友人というのは私にとって違うものなんです。
ロッカールームはひとつだったんですけど、1、2年前からは別々に脱ぐようになりましたね。
すごいフレーズだね!
そうか、着替える、ですね、ハハハ。オリンピックまでは、いつも共同のロッカールームだったんです。私たちはいつでも出たり、座ったりして、それぞれにどこが痛いとか、どれだけ疲れているかとかを口にしていました。話し合ったりお喋りしたりしていました。でも、友達というのは違うものなんです。とても親しい人です。そういう人を見つけるのはとても難しいし、そういう人は友達か友達じゃないかというギリギリのところに長くいるんです。
フィギュアスケートで友達はできた?
はい。今のところ2人ですね。それが誰かは誰でも想像がつくと思います。だから名前を挙げる必要はないと思います。
「他のコーチへ移籍することを裏切りだとは思わない。それは成長だ。」
プルシェンコの方に移籍した理由は何?
今お答えします。今から言うことは、私のすべての移籍、復帰、その他のいろんな質問への答えになると思います。
私はそれを裏切りだとは思いません。今までも思わなかったし、そしてこれからも。これまで一緒にトレーニングを受けたすべてのコーチに対して、私は良い態度で接してきました。どんなコーチも、何か質問や頼み事、話をしに行ったりしても、助けてくれます。そして、コーチたちが何かメールをくれたりする時はいつでも、私も全部ちゃんと理解して、同じように必要なことをやります。
私は、これは成長だと思っています。コーチにはそれぞれ独自のアプローチがあります。そして選手には、もし希望があれば、いろいろなコーチングスタッフを試してみて、どこが自分に合っているかを決める権利があるのです。そしてどんな場合でも、他のチームでは得られなかった経験を積むことができます。
アプローチは本当にまったく違いますね。どこかが良くてどこかが悪いと言ってるんじゃなくて、ただそれぞれ違うんです。そして、2つの異なるアプローチを組み合わせることで、1人のコーチングスタッフからではなく、2人のコーチングスタッフから知識を得ることができます。そうして強くなるんです。
あるチームともう別のチームのトレーニングプロセスの違いは何なのか教えてくれる?
それはストップなしであと5日は話せますね。プロセスはまったく違いますね。私は3つのチームに所属したことがあるけど、みんな違います。アスリートに対する姿勢も、トレーニングに対するアプローチも、滑り方も課題も。
エテリ・ゲオルギエヴナの場合は、より競技のようなプロセスでした。毎日印刷された紙を見て、そこで自分のミスを知るというものです。
エフゲニー・ヴィクトロヴィチ(プルシェンコ)のところは、よりテクニックに重点を置いていて、私がやったことのない下準備の練習がたくさんありました。私がそこでその練習を始めたとき、エフゲニー・ヴィクトロヴィチは、私がその下準備の練習のやり方を知らないから、一生ジャンプなんてできないだろうと思ったようです。彼は私を見て、いつもこう言いました。このやり方を知らないのに、どうやって4回転を跳べるんだ?って。つまり、これらの練習は4回転の準備の第一段階で、4回転は跳べるけど、この段階の跳び方を知らないんです。
スヴェトラーナ・ウラジミロヴナ(ソコロフスカヤ)は、人に対する、アスリートに対するアプローチがまったく違います。スポーツについてだけでなく、ただお話しすることができるのも、私にとってはとても珍しいことでした。もし私が今1人で氷上に出れば、うまくいくために何をすべきかを正確に理解できると思います。
そういう色んなテクニック法の中で最も身近なのはどれ?
少なくとも、エテリ・ゲオルギエヴナとエフゲニー・ヴィクトロヴィチの2人とは4回転ジャンプを5回ずつやりました。まあ、大会では、オリンピックシーズンの時しか成功しなかったんですけどね。でも、トレーニングでは、エテリ・ゲオルギエヴナと一緒のときも、エフゲニー・ヴィクトロヴィッチと一緒のときも滑りました。
トゥルソワはエテリ・トゥトベリーゼの指導のもとでしか勝てない、と誰もが声を揃えて言ったし、おそらく今もそう言い続けているよね。そういう言葉で傷つかない?それともその意見に賛成?
いえ、傷つきはしないですね。私の意見では、エフゲニー・ヴィクトロヴィチと一緒にいた年に、私は他のチームでもできることを証明したんです。(シーズンの)最初の方の大会では優勝していました。たしかに世界選手権ではうまくいかなかったけど、そこではショートプログラムからすべてが計画通りにいかなかったんです。でも、とても順調に準備できていたし、アクセルも5回の4回転も跳んだし、みんなもそれを見ていました。あの年、私は(トゥトベリーゼのもとでだけでなく)そうでないことを証明したと思います。
ショートでは何が悪かったの?
本当はアクセルをやりたかったんですけど、最後の最後でアクセルを外すことにしたんです。私にはこれが本当に響いてしって、コンビネーションでミスをしてしまいました。ルッツでのステップアウトもあって、12位でした。
私は(ジャンプを)内容から外しちゃだめな人間なんです、特に大会の日はね。既にその内容に馴染んで調整していたので。
プルシェンコと挑んだ世界選手権では、癖でトゥトベリーゼにジャンバーを渡しそうになった。これは移籍のサインか?
オリンピックシーズンの時、トゥトベリーゼのチームに戻ったよね。どうして?
あるエピソードを話します。世界選手権の6分間のウォーミングアップ時は、少し自分の世界に入り込んでしまっているので、コーチが立っている場所を把握することができないんです。準備出来ているから何をウォーミングアップすべきがわかっています。1周したらジャンバーを脱ぎ、それを渡してジャンプを始めるんです。私はいつもそうしてきました。
私が振り返ってジャンバーを脱ごうとしたら、たまたまエテリ・ゲオルギエヴナ、セルゲイ・ヴィクトロヴィチ、ダニイル・マルコヴィチが立っているリンク脇のところまで行ってしまったんです。それで私は急旋回して、服をエフゲニー・ヴィクトロヴィチに渡したんです。
その瞬間、彼(プルシェンコ)も彼ら(エテリら)も気づいたかどうかはわかりません。でも、本当にそういう瞬間がありました。私はママに電話して、私が間違いを犯しかけたことを話しました。彼らは全然違う所に立っていたんです。
何か彼らから反応はあった?
わかりません。一瞬のことだったし、考える暇もなかったので。恐らく、私がいつも彼らの方に渡してきたということが関係していると思います。
この話は神秘的なストーリーに結び付く?つまり、引き戻される感覚があった?
そうは思いませんね。子供の頃からそうだったので。ヴォルコフからツァレバに移る時、ヴォルコフが手を叩くと私は彼のところに行きました。逆に、これは単なる習慣なんだと思うんです。神秘的なことではなく、いつもやっていることを習慣にしているだけなんです。その時私は小さかったからそうなるのは理解できます。
で、ストレスにさらされている時、自分がやっていることを少しコントロールできなくなる瞬間があるんです。何か特定のことに集中してしまって、あまり重要でない瞬間、例えばコーチにジャンバーを渡すことなど考えなくなるんです。
じゃあ、ジャンバーの件とトゥトベリーゼへの復帰を関連づけることはできる?
もちろん、部分的にはできるかもしれないです。多分、あの瞬間はそうする必要があったのかもしれません。
再びチームに復帰した時どんな言葉で迎えられた?
直接何かの言葉はなかったけど…言うなら、最初に「赤毛がすごく似合う。」って言われましたね。その時は髪の色を変えていました。カラーリングを変えて、それからトゥトベリーゼチームに戻ったんです。なので、最初の言葉について言うなら、「赤毛がすごく似合う。」ですね。それ以外のことは全部個人的なことでした。でも、重要な会話は特にありませんでした。そして私はトレーニングに戻りました。すべてがほぼ以前のように戻ったんです。
自分自身の気持ちについてはどう?氷の上に出てリラックスできる?
やっぱりちょっと違う感じがしました。でもより慣れ親しんだ感じはありましたけど。同じ会場に同じ氷、1年前と何もかもが同じでしたし。すぐに慣れました。私はたぶん、「ただいま」という感覚を感じたことはなかったと思います。私にとってはいつも仕事であり、家ではないんです。だってもうただのリンクじゃなくて、トレーニング仲間たちとの場所でした。みんな以前と同じように接してくれました。そして同じように練習しました。
「7月に初めて最初の5本の4回転を含む演技をして、コーチ達は拍手してくれた。」
チームを離れている間、トゥトベリーゼのチームではシェルバコワやワリエワなど、みんなオリンピックに向けて準備していたね。コーチの注目を集めるため、メダルを獲得するため、どういう風にこの競争の中に適応していった?
コーチから注目されるために競争したことはありません。もちろん、常に競争していれば、より努力するようになると思います。でも、特にトゥトベリーゼチームに戻る時は競争相手がいなかったから、自分にとっては少し大変だったかもしれないですね。でも、頑張ることができました。
どっちでも自分ができることを知っていたから、何かのために戦っていたということはなかったです。自分のやるべき事をし、トレーニングをし、回復に取り組んでいました。そして、休暇明けの初日から、どんな内容になるかはわかっていましたし、コーチみんながそれを知っていました。
初日に4回転ルッツを跳んでいました。2日後にはもうアクセルを跳んでいて、2週間後には4回転フリップを跳べるようになっていました。
そして7月の終わりには、5本の4回転を含めたクリーンな演技を初めてやりました。コーチはみんな拍手してくれました。座って拍手してくれていました。そういうわけで、4回転を5本やるのにどれくらい時間がかかるか、はっきりわかっていたんです。
でも次の日、足をひねってしまいました。それからはもっと難しくなりました。
ベストな状態はオリンピック準備期間中だったと言える?
いや、ベストな状態だったのは、実際の演技中と演技前で、その後に足をひねったんです。すぐに足をひどく傷つけたわけじゃなくて、3日間休めば十分でした。でもまだ足にテーピングを巻いて滑ってます。
もしかしたらそれは私の頭のせいかもしれないけど、MRIも撮っていないんです。検査は受けませんでした。その時はオリンピックに出場することが重要だったし、すべて治ったと自分で判断したので。
今は?
うーん、まあ…
テーピングを巻いてるんだね。
基本的にはそうですね。私のベストの調子は演技中でした。当時は何だって跳べていました。オリンピックでは、「最低2ヶ月」がと思っていたことが功を奏しましたね。どれだけ必要かを明確に計算したので。
五輪で4回転を4本跳んだ後、トゥルソワは5本目をやめようと考えていた。それを判断したのは氷上だった。
オリンピックで4回転を5回跳んだことを後悔してる?もしかしたら外して内容が簡単になるかもっていう考えは?
後悔はまったくしてません。ショートプログラムのアクセルで転倒した後、フリーでサルコーを外すように言われたんです。それに対して私は、「もちろん、そんなことはしない」と答えました。第一に、4回転を5回滑ることが、勝つための唯一のチャンスだと思ったので。いずれにせよ、5つ滑らなければならないという風に思えたのです。
演技中、4回跳んで5回目に入る瞬間、正直、跳ぶのをやめようかと思いました。でも最終的には、4回転を跳んで5回転を跳ばないなんて、自分自身を一生許せないだろうと思って決断しました。私にとってそんな事をするのはほぼ不可能だと思いました。
ショートを4位で終えた夜どんなことを考えていた?
何も特には。ショートプログラムではしょっちゅう負けていて、12位だったこともあるし、3位だったこともあります。ショートプログラムの順位で恥ずかしいと思った事はないです。まあ、そうですね、トップになれた時はいいものですよ。リラックスできますしね。でも、いつでも追い上げることはできるし、フリーで追い上げるのは簡単だと思っていたんです。自分にはどういう内容が」あるかということを知っていればなおさら。
北京の団体戦ではどのように決められたのか?
実際、全部よくわからないんです。誰もが団体戦に参加したいと思っています。オリンピックの氷上に立つことは特別な感覚ですし。だからそういう機会が多ければ多いほどいいですよね。
具体的な話は誰ともしていません。それが分かったのは現地でした
つまり、その場でカミラが参加すると聞かされたの?
そういうことは言われませんでした。ただそれが事実でした。ショ
団体戦のフリーの日、私は4回転5本を含めたプログラムをクリー
「1位もあれば、奨励賞もある」
金メダルと5本の4回転ジャンプ、どっちの方がより目標としていた?
片方をやればもう片方も達成できると思います。もし4回転を5回跳べば金メダルになる、跳べなければ金メダルはない、という風に。私はそれを2つの目標だとは考えていません。そう思っていたから、2つ目標があったとは言えないです。
優勝するという目標なしに大会に臨んだことはありません。自分のことをやり、そしてそれをやり遂げ、そうしたらおのずと…。
1位が勝ちで、それ以外は負けだと思うと言っていたことがあるかど、君にとってオリンピックでの2位は負け?
そうです。銀メダル?準優勝なの?って言えてしまいますね。
ダーツを真ん中に投げる時だって、勝った、ということもあるし、奨励賞もあります。私は、1位というのは、そうして勝つことで、それ以外は奨励賞だと思っています。そして、2位と3位の人が気を悪くしないように、メダルをあげるんです。
優勝者が何人もいるなんてことはありえないですよね?何人もいるのなら、金メダルも何個かあるはずです。それだって議論の余地があります。ただ、優勝者は一人だけです。
サーシャはほとんど趣味でスケートをしない。なぜか?
スヴェトラーナ・ソコロフスカヤから教わった知恵はある?
大事なことは、楽しんでスケートをするということです。多分、私の人生では、目標を達成するため、これを跳ぶため、きれいに滑るために滑っていました。楽しみのためにスケートをしたことは、おそらくほとんどないですね。
私はフィギュアスケートが大好きです。なんなら、自分が滑るのが好きなんです。でも楽しんでというのとは違います。それは、氷上にいることを楽しむことです。きっと、今は楽しんで滑っていると思います。でも当時は結果を出すために滑っていました。
氷の上に出ると、自分の中にあるエネルギーをすべて他の人々に捧げていました。だから滑るるのがより難しくなったんです。そうして、身体的にもプログラムを滑るのが難しくなりました。今でもそうです。でも他の人たちは、逆にこのエネルギーを集めて、大会では滑りやすい気持ちになるようですね。
私にとっては、1日に2本とか連続で滑るのはちょっと難しいです。なぜなら、出て行ったエネルギーを自分に集め戻しきれないからです。氷上に出て行って、エネルギーを手放して、そしたらまたどこかでエネルギーを取り戻さなければならないんです。
どうやって力を回復させているの?
何もないです。ただ待っているだけ。どうやってかわかりませんがいつも回復してきますね。人に会うと元気が出て、どこか深い奥の方から力が集まってくるんです。
キャリアのその後は?
スポーツ選手としてのキャリアの終わりには何をしたい?
キャリアの終わりについて話し合ったことはないと思います。だから…
そうじゃなくて、ただ漠然とした疑問だよ。
ああ、キャリアを終えたら…なるほど。
どうですかね、何か計画があるわけでもないし。今を生きて、少しずつ考えます。将来のことじゃなくて、今日、明日、長くて1週間後に何がしたいかということを。
女子3人で今週末、サンクトペテルブルクに行く予定があります。私は本当に車が好きで、今は自分の車を運転することができるんです。
即答!
何に感動する?
今は何でもです。昔はこんなことなかったんですけど。以前は映画『タイタニック』を見て何の感情も出てこなかったんですが、今は、ただの動画でも見入ってしまいます。映画を見ても、悲しくはないんだけど、喉にぐっとこみ上げる瞬間があります。涙が流れるような人生の瞬間もあります。それがなぜなのかはわかりません。
ペースを狂わせるものは何?
おそらく今はそういうものは何もないです。
一人の自由時間はどう過ごしたい?
犬たちが私の周りで寝そべって、私は携帯電話を手にして何かを見ている、そういう感じです。
フィギュアスケートでの友情はある?
ないです。
最後に泣いたのはいつですか?
今日です。ビデオを見ていて。これ言いましたね。
どんな状態でも元気になれるものは?
愛犬たち。
家族かキャリアか?
もちろん家族。
盛大な結婚式か、ささやかな入籍か?
実は両方やりたいです。ドレスを1着着て、その後2着、3着と着たいです。選べるなら豪華なのがいいですね。
バラか牡丹か?
バラ。
マリニンか羽生か?
比べることができない人達です。ネイサン・チェンを彼らに含めても比べられないのと同じです。全く違う人達です。
オリンピック金メダルか世界記録か?
今だったらオリンピック金メダルですね。記録はたくさん持っているので。
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