
ロシアのジュニアチャンピオン、アリーナ・ゴルバチョワのコーチであるソフィア・フェドチェンコは、Sport24の記者コンスタンチン・レーシックとのインタビューで、何度か他の指導者のもとで自分を試すよう彼女に提案したと語った。
結果が思わしくなかったとき、あなたはアリーナに移籍を勧めましたね。特定のコーチを勧めたのでしょうか?
特定のコーチを紹介しました。会いに行ってみるよう提案したんです。
アリーナさんは行かなかったのですか?
はい、彼女は行きたがらなかったのです。私は2度提案しました。1度目はずっと昔、まだ自分のスクールを持っていなかった頃です。私たちはスポーツスケート用の場所でやっていて、彼女は当時10歳でした。私は、「アリーナ、スポーツスケートではこれ以上トレーニングできない。30~40人がリンク上にいる中で、小さな子どもを避けて3回転ジャンプのあるようなプログラムを滑るのは無理がある。どこか別のところで試してみるしかない。自分たち用のリンクがあるわけでもないし、このまま練習しても結果は出ない。」と言いました。
その時、私にはすでに10人の生徒がいたんですが、その親たちが「リンクを借りてほしい」と頼んできたんです。彼らはお金を出し合ってリンク代と私たちの給料を負担してくれる準備ができていました。私は当時、コーチをしていたビーチャ・アドニエフと一緒に仕事をしていました。
私はアリーナに、とあるグループに行って見学してみようと提案しました。最初は考えておくと言って承諾もしてくれたのですが、後になって、いやだ、どこにも行かない、と断られてしまったので、選択肢がなく、リンクを借りることになりました。その時点ではまだ自分のスクールを開いて組織的なことに対応できるような状態ではなかったのですが。グループというのは責任重大ですからね。それに、私はスポーツ専門カレッジで5年目を迎えていて、生活もあったし、さまざまなチャンスもありました。でも、アリーナとも離れたくなかったのです。アリーナは、私が自分のスクールを立ち上げるように後押ししてくれたとも言えるでしょう。
アリーナがスター達のいるグループにオファーされた場合、彼女が去ってしまうことを恐れたりしませんか?
アリーナが去っていくことを恐れるのは間違いです。狼を怖がるのは、森を歩かないことであるというように。決して予測などは出来ないのです。今年、私のグループには素晴らしい結果を残して去っていった子がいました。この子が去るのは最後になるだろうと思っていたので、彼女が去るのは全く想像できませんでした。彼女は6歳の時から私と一緒にスケートをしていました。最初は1回転ジャンプすらできない状態で入ってきたのですが、9歳になると、全ての3回転を跳ぶようになりました。でも、シーズン当初のこれは、本当に予想外の出来事でした。まだエテリ・ゲオルギエヴナへの移籍であれば理解できますが。
それ以来、移籍のことを考えても意味がないとわかりました。アリーナに関しては私が彼女に提案したのです。だけど上手くいかなかった。その理由は、私たちが一緒に住んでいて、個人的な関係がコーチングとリンクしているからだとわかりました。子供というのは家でのサポートが必要で、誰か泣きつくことができる人が必要なのです。でもコーチの時は、私ははっきりと割り切れるんです。リンク上では同情せず仕事をし、逆に家では母親として親身になって寄り添ってあげられるのです。
でも、アリーナはそれをなかなか分けられなかったので、昨シーズンはそれが原因でいろいろと問題がありました。わざわざキャリアを台無しにする意味があるの?他のグループで試してみればいいじゃない。もしそこが気に入れば残るだろうし、そうでなければ、私は決してあなたを見捨てないし、戻って来てスケートを続ければ、何も悪いことは起きないよ、という風に言いましたが、彼女は断固として嫌がりました。そして、ある親御さんが私にコーチを勧めてくれたのですが、それがヴラダ・ニコラエヴナ(ダニイルキナ)で、しばらくアリーナのヘッドコーチとなってくれたのです。今は、彼女と私は均等に仕事をしています。恐らく、私よりも彼女の方がヘッドコーチだと思います。私はジャンプに関して指導し、彼女はそれ以外のことをする感じです。練習のプロセスは彼女が決め、私は家で寄り添ってあげることができるので、関係はここで改善されました。
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