ラファエル・アルトゥニアンは伝説的なフィギュアスケートコーチだ。
ソ連人、ロシア人、アメリカ人……どんな定義でも構わない。彼はトビリシで生まれ、エレバンで学び、モスクワでコーチを務めた。ソ連代表チームのために滑っていたという事実は象徴的ですらある。しかし、彼が有名になったのは2000年にアメリカに移住してからである。その時、タラソワ、リニチュクからモスクヴィナ、ズーリンまで、ロシアの有名コーチ陣がアメリカに渡った。
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Интервью Рафаэля Арутюняна: почему он не берет российских фигуристок и когда Малинин прыгнет пятерной?
Мэтр все еще при деле в США.
彼らのほとんどはすぐにロシアに戻ったが、アルトゥニアンは残った。そしてアメリカのフィギュアスケート界のスターになった。50年近いキャリアの中で、ミシェル・クワン、アレクサンドル・アブト、浅田真央、セルゲイ・ボロノフ、アダム・リッポン、アシュリー・ワグナー、マライア・ベルらと仕事をしてきた。
2022年の北京オリンピックでは、アルトゥニアンはネイサン・チェンをオリンピック金メダル(2度目の挑戦)に導き、そして今、彼はアメリカのフィギュアスケート界のホープであるイリヤ・マリニンと共に再びそれを成し遂げようとしている。マリニンが史上初めて跳んだ驚異的な4回転アクセルも、アルトゥニアンとの練習によるものだ。
マイヤ・バグリャンツェワ記者は、チェンが今何に取り組んでいるのか、マリニンは簡略化された演技内容に同意すべきかどうか、そしてアルトゥニアンがなぜロシア人スケーターを指導しないのかについて話を聞いた。
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いつお電話しても職場にいらっしゃいますね。休まれることはあるのですか?
仕事が大好きなんだ。今教えている子たちは15カ国から来ていて4回転ジャンプを跳ぶ子もいれば、平均的な子もいる。私はみんなと練習する。私はビジネスで成功しているが、お金が最優先ではない。一生懸命、よく働けばお金はついてくる。あと3年で私のコーチ歴は半世紀になる。ただ彼らの近くにいるだけじゃなく、毎日8時間リンク脇で働いているんだ。
3年後といえば、ちょうど次のオリンピック、2026年ミラノ大会ですね。
オリンピックについて話すと…私はそれに12年間没頭してきた。トロリーバスを見ると、そのナンバープレートに1があるかどうか見ていた。実際に数字を見るといえば、私はずっと1しか見たことがない。ある時、横断歩道を渡る際、信号の数字が11に変わったのが見えた。私はちょうどその瞬間に歩道に踏み出していたから、よし!って喜んだよ。でも今はもう1を見ることはないんだ。もうそれで終わり。
このことをネイサンに伝えたんですか?
いやいや、そんなことはしないよ。彼はすでに全勝していたから、そんなことは絶対できなかったよ。でも、オリンピックシーズンの秋、スケートアメリカで彼が突然3位になったとき(ヴィンセント・ジョウ、宇野昌磨に次ぐ3位 – Sports.ru)私は嬉しく感じて、ほっとさえした。
コーチとしては、彼はすでにこの敗戦に少し近づいていると感じていたし、私も彼も少し止まることを必要としていたから、口出しはしなかった。それがオリンピックで起こるのは怖かったし、それに韓国ですでに悪い経験をしている(ショートプログラム17位、総合5位 – Sports.ru)。その経験がなかったら、怖がったりしなかったかもしれない。
スケートアメリカでの銅メダルの後、私たちは真剣に話し合った。その時全てが明確になり、彼がオリンピックの金メダルを取るのを妨げるものは何もないと理解した。その時点ですでに誰にとっても明白だったのは、実際には彼が一人勝ちの試合をしていたということだ。でもそれについて詳しく話したくはない。
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では、大会前はまったく心配していなかったのですか?
いや、もちろん心配だったけれど、何か特別なことが起こらなければ、ネイサンは負けることはないとわかってたんだ。わかってほしいのは、私は彼のその金メダルがそのタイミングで実現したのを嬉しく思ってるということ。それよりも早ければ、その価値を感じることができなかっただろうから。私は40年かけてここに辿り着いた。そして今、完全に満足して、人生のすべての喜びを堪能してる。最高の気分だ。
私は超近代的なリンク(カリフォルニアのグレートパークアイスアリーナ – Sports.ru)で働いている。私のチームには、日本、ウクライナ、チェコ共和国、ロシアから来た12人がいる。さらに拡大する予定だ。
私のチームに誰かを呼ぶ前に、私はビジネスの観点から計算しなければならない。それに、カリフォルニアは物価が安いところではないから、最低でも月に1万ドル(約100万円)は稼がなければならない。だから、安定した仕事量を彼らに提供できるかどうかを確認する必要がある。
イリヤ・マリニンについて語る。4回転アクセル、5回転ジャンプの実現、そしてオリンピック金メダルに届くために彼に足りないものについて。
あなたは、コーチの重責をこれ以上引き受けないと言いましたね。もう二度と巻き込まれないためにと自分を責める必要は今はないのでは?
今、私はむしろ、何人かのスケーターを手伝っているだけだ。例えば、イリヤ・マリニンとかね。私から見れば、少ししか手伝っていないんだけど、彼はとても感謝してくれている。私は必要とされたときにだけ顔を出すだけで、ほとんど何もしていない。
もっと手伝いたいですか?
いや、求められる分だけを与えたいね。私が必要とされてる分だけ関わっていきたいと思ってる。私は長い間このスポーツの世界にいるから、彼のような選手が何を必要としているかを正確に理解している。私はめったに間違いを犯さない。それはその人をちゃんと見ているからだ。イリヤはユニークだし、彼は自分が何を望んでいるのかよくわかっている。
彼はスポンジのように瞬時に吸収する。一つの言葉から、時には一つの視線から。とても賢い子だ。そう、彼は惜しみない才能に恵まれているが、頭の回転もいい。
彼の体のどこが、他の選手にはできないことを可能にしているのでしょうか?
こう言おう。体は非常に頭脳に依存する。それに彼は非常に高いモチベーションを持っている。彼は自分自身を前進させる機関車みたいな存在だ。
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両親の野心ではないということですか?
両親の野心もある。でも、野心といってもそれぞれ違う。どんな子供でもエネルギーをたくさん持っている。子供は信じられないほど持久力があり活発だ。それは正しい方向に導かれなければならない。彼の両親には、このエネルギーを抑制するという動機があったに違いない。そしてその後、イリヤ少年には自分自身のモチベーションが生まれた。最高の成績を目指すことだ。彼はいつもより良くなりたいと思っている。彼の非凡さは、まさにそのモチベーションの高さにある。大人たちの役目は彼をサポートすることで、正しい言葉を伝え、干渉しないことだ。
私は昨年、彼と驚くべき体験をした。私は長い間、大会で彼の隣に立っていたが、キス&クライに一緒に座ったことはなかった。そしてその世界選手権(全く違うスケーターと一緒に来た)では、私は彼から離れた場所に立っていたんだ。
イリヤはいつも、何か緊急に相談したいことがあるときは、近くにいるように頼んでくる。フリーの最後の最後に、彼の父親が私に向かってこう言った。「イリューシャに、あなたをキスアンドクライに連れてくるように頼まれました。もしうまく滑れたらと。」
彼は私にお礼を言おうとしていたんだけど、スケーティングがうまくいかなくなることを恐れて、事前に私にそれをお願いしなかったんだ。こういうことはユニークな一面を持つ人物の特徴だ。
そして今年の世界選手権のショートプログラムで彼は驚異的な滑りを見せた。氷上から戻ってきた時、私が彼に「君は本当にすごいな。ありがとう。」と言うと、彼は私の手を引いてキスアンドクライに連れて行き、大きな声でこう言った。「僕があなたに感謝したいです。あなたはそれだけのことをしてくれました。」と。
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イリヤ・マリニンと父ロマン・スコルニャコフ、ラファエル・アルトゥニアン
つまり、彼は立派に育ったんですね。
そう、間違いなく。彼の両親はとてもまっとうな人たちだ。控えめだが、何よりも重要なのはまっとうだということ。私はそれがとても気に入っている。
イリヤの家族とは素晴らしいチームになれている。2026年のオリンピックはまだ3年先だが、彼はもちろんミラノでメダリストになる可能性を秘めていると慎重に言っておこう。優れたプランニングが必要で、食事から演出まで、あらゆる分野のプロフェッショナルなチームが必要だ。
しかし、私はすべての利益と栄光を彼の両親に与えたい。私はもう十分だ。すべてを手に入れたから。それに、彼らは誰よりもそれに値する。私はこの世界選手権の会場のキスアンドクライに座っていたが、イリューシャの母親であるターニャ・マリニナがそこにいなかったことがとても残念だった。あそこは彼女の場所だった。彼らはイリヤに多くの投資をしてきたし、それは彼らのライフワークでもある。彼の両親が正しい決断をしていくことを願っている。私はアドバイスをするしかできないから。
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イリヤ・マリニンと母タチヤナ
一緒にやり始めた当初からそうだった。私は、彼らが大まかな方向性を選び、そこに旗を立てるのを手伝った。私に助言を求めるという彼らの決断は、とても良いものだったと思う。イリヤは自分でそれを理解していて、だから私にそのように接してくれるんだ。
アメリカに22年間住んで、私は忍耐を学んだ。私は長い時間、辛抱強く何かをアドバイスすることができるし、的外れなことは言わない。私は自分が何を言っているかわかっているからだ。しかし、もしも頑固な人なら、それはもう仕方がない。人の頭は自分で付け替えることはできないからね。
そこにはコーチと選手の信頼関係の問題もあるかと思いますが。
確かにそうだ。考えを伝えるには、強制と説得、2つの方法がある。私は人に強制することができない国に住んでいる。強制する方が早くうまくいくかもしれないね。説得は、何カ月も待って「言ったでしょ、ほら」と繰り返すことになるかもしれない。種を蒔いて芽が出るのを待つということだ。でもその代わり、説得すれば人は、それは自分たちが決断することだと気づく。上から押し付けられたものではないんだ。
イリヤは練習で気まぐれだったりしないのですか?
私とやる時はそんなことない。だから私は彼を大人のように扱う。そして彼を尊敬している。私にとって重要なのは年齢ではなく、リンク上で真剣に練習に取り組めるかどうかだ。そして私は、仕事という点では、氷上では彼を大人のアスリートと同等に見ている。彼は他の選手ができないことをする。そして私は彼を対等に扱っている。
上から下へではなく、コーチが生徒に接するようにということですか?
もちろん上からものを言うなんてことはしないし、むしろ逆だよ。彼は可能性の限界に挑戦しているのだから。最終的に4回転アクセルを跳んだ人間だ!
このジャンプには面白いエピソードがある。彼がトリプルアクセルをしている時、私は彼に、「少し別のアプローチをしてみよう、君のアクセルが良いのは見ているから、このアプローチをすればもっと良くなるよ。」と言った。つまり、一度にすべてのカードを見せなかった。すると彼は、「4回転を跳ぶんですよね?」と言った。そして彼は父親の方を振り返って「ほら言ったでしょ!」と言ったんだ。
最初は彼の父親には、私は信じてもらえてなかったけど、イリヤがすでに4回転アクセルを自分の中に持っているのがわかってたから、後はもう新しいアプローチで試してみることだけが必要だった。私は何年も氷の上にいたから、そういうことがわかるんだ。4回転がもうそこにあるという事がね。
だから私は父親に言ったんだ。「実は、彼はすでにそのジャンプを持っています。彼を引き上げてみれば、4回転アクセルが跳べるようになるんです。」と。そして1ヵ月後、彼らから4回転アクセルをする動画が送られてきた。
マリニンが出てくる前に、4回転が実現可能なものだと信じていましたか?
もちろん信じていたよ。私は5回転も信じている。ただ練習が必要ではある。もう一つの問題は、5回転というものが必要かどうかだ。でも、マリニンは5回転トゥループを跳べると私は見ている。おそらく、トゥループだけじゃない。彼は本当にできるんだ。5回転の難しさは、それを実現することではなく、怪我の危険性があるということだ。ネイサンと私が共にやっていたとき、ときどき私たちは4回転トゥループを、明らかに5回転ができるような跳び方で跳んでいた。そしてもうひとつ私たちがわかったことは、5回転自体は特に必要なく、課題はもっと別のことであるということだ。
そしてこの話については、イリヤがどこで練習するかによって大きく変わってくる。カリフォルニアにいる私の近くに移籍できれば、もっと簡単な話だと思う。私ももっと役立てるだろうし、私たちのリンクには施設も機会もあるし関係者もいる。私たちのリンクのオーナーは、フィギュアスケートの大ファンなんだ。
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イリヤはどのくらいの頻度であなたに会いに来るのですか?
今はほとんど来ない。以前はもっと頻繁に来ていた。その時は色々問題があったからね。でも、今はすべて解決したし、彼自身も今多くのことに取り組んでいる。たいていの場合は、質問があれば動画を送ってくる。世界選手権の1週間前にも送ってきたことがあったが、すでに最低限の手直しがされていた。
シーズン終了後は2回ほどそんなことがあった。プログラムは2つとも、うちのリンクでも働いているシェリン・バーンにやってもらった。私たちは彼と共に取り組み、そして彼は信じられないようなことをやってのけた。言うのも恐ろしいぐらいだが、彼は4回転トゥループを跳んで、すぐに4回転アクセルを跳んだ。しかもクリーンな着地で。
あなたはそのプログラムを気に入りましたか?
これは彼の前にある多くのステップのひとつだ。彼が優勝すれば、私はそのプログラムがお気に入りになるだろう。
イリヤが宇宙的とも言える演技内容を滑り続けることに同意しますか?世界選手権の後、同じ4回転アクセルをやめるという話がありましたが。
同意するよ。彼は自分からやりたがっているし、そうするだろう。彼のまわりは説得しているようだけど。彼の両親は反対し、連盟のトップの人間たちも反対し、ジャッジでさえ私的な会話の際に、もっと内容を単純化するようアドバイスしている。そして、私一人が賛成しているという状況だ。
それは後戻りできないからですか?
すべては計算次第だからだ。彼にはまだすべてを整える時間がある。今は試してみるには一番ふさわしい時期だ。もうひとつの問題としては、いつその実験を終わらせるかをはっきりさせなければならないということだ。その点では彼は助けが必要かもしれない。それは難しいことだからね。彼は自分がやりたいと思っていることではパイオニアだから。
彼とはすでに今後の戦略について話し合ったのですか?
話し合うことは少ない。支持することが必要だ。もちろん困難もある。彼はとても野心的で熱心な青年だ。それは素晴らしいことだが、彼が私の近くで実験してくれれば、より安全なのだがね…ハハ。彼にはチャンスを失って欲しくないんだ。彼はユニークな選手だから。
彼を見たとき、すぐにそのユニークな可能性に気づきましたか?
いいや。私には子供の何かを見抜く方法を知っている友人がいるんだ。彼がイリヤをリンクに連れてきた。そして彼はこう言った。「見てくれ、面白い子だ。」と。でも、当時の私はネイサンに没頭していたから、そんなことまで気が付かなかったんだと思う。
その時イリヤは何歳でしたか?
9歳か10歳で、とても若かったし出来ることも少なかった。でもその後、一緒にやるようになって、私は彼のすべてを理解したし、彼は練習で心を開いてくれた。
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イリヤはとても有名になりましたが、彼に務まると思いますか?
もしかしたら、そこが一番私を必要とするところかもしれない。でも、彼はうまくやっていくと思う。非凡であってもいい。私の仕事はまさに彼にそれを示すことなんだ。そうすれば、「やっていけるかどうか」なんて話はなくなる。
彼が燃え尽きてしまう危険性はあると思いますか?彼を引き止める必要はないのでしょうか?
そのためにこそ良いチームが必要なのであり、そのチームは彼が正しい決断を下せるようにするためのものだ。彼はやる気満々だが、まだ経験がない。つまり、感覚でやっている。私は行ってはいけない道を知っているから、彼にそこに行かせないようにすることができる。
彼のキャリアが長く続く見込みはありますか?
あるし、彼のような選手は長く滑れる。体もいいしデータもいい。ネイサンの場合はもっと難しかった。体は硬いけど、頭は柔らかいんだ、ハハ。彼は自分が何をしているのかわかっていたし、私は彼のためにしっかりと計画を立てた。彼をトレーニングに連れて行ったとき、私にはすでに34年の経験があったからね。それでも、当時の韓国では私の言うことを聞くよう説得することはできなかったし、彼は小さくて頑固だった。その一方で、もし彼があの時私の言うことを聞いていたら、私たちはもしかしたら、北京で滑ったあのネイサン・チェンの姿は見られなかったかもしれない。
問題は、私がメンタリティや文化の違いを十分に理解していなかったことにもあったんだ。私たちは自分の視点から人の行動を説明しがちだからね。しかし、現実にはそれはまったく違うということがあるんだ。
だからイリヤの方がやりやすかったのですか?
そう、もちろん。彼の両親も話がしやすいしね。イリヤの頭の中のことは、私の方が先に理解できることもあるんだ。
でも、彼は成長していきますよね?そうなったらどうしますか?
もちろん彼は変わる。それは身長だけのことではない。身体は日々変化し、トレーニングに来ても昨日とは違う。だからアスリートは常に自分の体をアップデートしていかなければならないんだ。
ボリショイ劇場のクラスでバレリーナがバーレッスンに立つとき、それはあたかも携帯電話に毎回新しいデータを読み込ませ、新しい一日を迎えるようなものなのだ。フィギュアスケーターも同じだ。ヌレエフが言っていた。「1日練習しなければ、自分がわかる。2日練習しなければ、先生がわかる。3日練習しなければ、観客全員がわかる。」と。これはプロの金言だ。本物のプロは、自分の仕事をするためだけに寝て、食事をして、ショーに出るのだ。
それは誰にでもできることではないですね。
まあ、誰もがオリンピックのメダルを取れるわけではないし。でもイリヤはそれができると思う。それは、彼がどれだけ長く滑るつもりなのかという問題になってくる。つまり全ては、いつまでプロでいたいかということによるんだ。
今現在、上位にいる選手たちは皆、可能性を秘めたいいスケーターだ。そして私は、カジノのように運に頼ってオリンピックに臨みたくはない。何事も確実であるのが好きなんだ。
「チェンはすでに素晴らしい未来に生きている。」ラファの他のスター選手たちを振り返ってみよう。
男子選手と一緒の方が、波乱の時期を乗り越えやすいと言われていますね。
今のスポーツは複雑なレベルだから、誰と一緒だとしても簡単じゃない。ミシェル・クワンが試合を終えた時、彼女は私のところに来て、戸惑ったように私に尋ねたことがある。「ラフ、私はこれから何をすればいいのかわからない。以前は、起きて、ウォーミングアップして、トレーニングして、クールダウンして…っていう感じで全部わかってたんだけど、今はどうしたらいいの?」と。彼女は、理解して実際に自分のために新しい人生を切り開くまで、そんな風に彷徨っていたんだ。
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ネイサンは知っていますか?彼にもそのような混乱があったのでしょうか?
彼は事前に覚悟していた。そして彼は遺伝子工学というとても真剣な分野に進んだ。彼はその分野で最高の教授から素晴らしいことを学んでいる。彼らはどちらも既に未来に生きている。そして、遺伝病の際に血液の遺伝子構造を修正可能にするという研究に取り組んでいる。
そうですね、彼がノートと教科書を持って大会に臨む姿を誰もが見ていました。
まあ、教授たちにもそれぞれ自分の優先事項があるからね。まず試験に合格し、すべての論文を書き、それから好きなところに行ってくれという感じだった。そして、教授らは彼にどんな優遇も割引も与えなかった。彼らには自分たちの選手権があるんだ。
世代を超える才能という概念がありますが、マリニンについてそう言えますか?
もちろん。彼は特別だ。ちなみにチェンも特別だった。私はもっと特別な人たちに会ったことがある。みんな素晴らしい人たちだから、名前は挙げたくないけど、彼らに会えて幸運だった。
私は選別や選考をしたことがない。誰も私のところに、最高の優秀な人を集めてきたことはない。私はフィギュアスケーターとしてもコーチとしも有名だったことはない。そこにいる人たちと一緒に仕事をした。キャリアをスタートさせた当初から、私は他の人に断られた人たちをみんな私のところで引き取った。もしそのスケーターがすでに見限られたなら、私のところに送り込んでこられたのだ。
私はどのように選手を誘惑し、引き込むかというやり方をよく知っている。練習中にスケーターとすれ違いざまに、「ああ、今日のスケートは素晴らしかったよ」と言うんだ。そうすると、その選手はすぐに顔を輝かせ、自分のほうにドアを開けてくれる。でも、僕は人生で一度もそれを使ったことがないし、したこともない。私にはこういう愚かな性質があるんだ。私はそれを超えることはできない。選手は賢いから、私が彼らの役に立つとわかれば、自分から私のところにやってくるだろうといつも思い続けている。私は何年もスポーツの世界にいるが、誰かを引き抜いたりしたことはない。みんな自分から来てくれるんだ。
浅田真央が私のところに来たとき、私はまだ彼女と話したことがなかったんだ。私の元には頭の良いやり手の選手たちが集まり、彼らは私がどのように役立つことができるかを理解して来てくれたんだ。アダム・リッポンもそうで、彼は完全に絶望している時にやってきた。彼を救う必要があったんだ。
ジェフ・バトルもね。彼はよく、ここが自分の最後の目的地だと言っていた。私と一緒にやっていけないなら、終わりにするしかないって。そして彼は世界チャンピオンになった。だから、最も才能のある者だけを取るというのは私の話ではないんだ。
誰にでもそれぞれの強みがある。私の強みは、その人をより良くすることができるということだ。それが私にとって最も重要なことだ。変化が「ビフォーアフター」の形で見え、 それが誰からも認識される時。私はその変化にとても満足感を感じるんだ。時には、その進歩を見ているのは私一人かもしれないが、ハハ、そんなことはどうでもいい。選手はより良くなり、 それまで持っていなかったものを身に付けることができるんだ。
でも、来る者拒まずというわけではないと思いますが…。
皆受け入れるというにはほど遠いかもしれないね、なぜならコーチの倫理があるからね。自分の成功を自分勝手に考えるなら、最高の選手を5人選ぶ必要があるが、その中には確実に成功する者が出てくるだろう。しかし、もしトレーナーなら、1人を選んでその人に専念する必要がある。一緒に練習している仲間たちは、その優れた選手と競い合うことで自らも成長する。しかし、彼らに対して戦わせるようなことは間違っている。
では、集団の中で数人の強いスケーターがいれば、お互いにモチベーションが上がるのでは?
スパーリング・パートナーという戦術もあるが、全員がそううまくいくわけではないし、全員がお互いに合うわけでもない。お互いに合うように、心地よく感じるように、推測しなければならない。そういうことなんだ。
ブライアン・オーサーがエフゲニア・メドベージェワを指導するのが容易でなかったのはなぜか?ロシアのフィギュアスケーターが海外に出るための正しい方法を検討してみる。
なぜ我々の国の女子選手らを取らなかったのですか?彼女らはあなたにアプローチしたと思いますが。
そうだね、取るという選択肢もあった。しかし、私はここで厳しい態度をとる。それは、ロシアのフィギュアスケーターは、連盟の同意と祝福があって初めて引き受けることができると思うからだ。そして、連盟と連携することも必要だ。
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そうでなければ、彼らの車輪に棒をはさむことになると?
いや、そうではない。ロシアの連盟は選手としての彼らの成長に信じられないほどの投資をしており、スケーターに何かを指示する権利がある程度あるんだ。ロシアの選手たちは、実はすべて準備された中で生活している。ロシア以外の外国人スケーターを取る場合、選手が自分自身のオーナーなのだ。たしかに、連盟が介入してその選手を助けることもあるけれど、選手が自分自身を作り上げたんだ。わかるかい?そして自分自身に責任を持っているんだ。
でもロシアの選手たちは、長い間辛抱強く育てられ、手取り足取り指導される。そして、突然誰かががやってきて、ゼロから始めようとすると…。どんなに素晴らしいコーチであっても、たとえソ連出身であったとしても、それがどのように機能するかについての大まかな考えを持っていたとしても。あるいは、非常に優秀な外国人コーチであったとしても…うまくはいかない。ジェーニャ・メドベージェワの話は、非常によくわかる例だ。
残念ながらということですね。
残念と言えばそうかもしれない。しかし、状況をよく表している。彼女が成功できるのは、そこで物事がどう動くか細部に至るまで熟知しているトレーナーのもとでだけなのだ。
では、ブライアン・オーサーは自分に何が待ち受けているのかを最後まで理解していなかったということですか?
もちろん、彼はまったく異なるシステムの中で育ち、仕事をしてきた。彼は、これほど多くのニュアンス、暗黙の了解、複雑な事情に悩まされることになるとは想像さえもできなかっただろうと思う。
しかし、私は何が起こるか自然に100%わかる。だからこそ私は、所属スケーターの行動はすべて連盟との合意のもとにのみ行われるべきであり、それがそこでしか通用しない唯一の方法なのだと言っているんだ。
ピョートル・グメンニクとの仕事について。モスクヴィナが彼に頼み、アルトゥニアンは賞金の一部の収益を断った。
例を挙げよう。私がどのようにしてペーチャ・グメンニクと仕事を始めたか。まずタマラ・モスクヴィナから電話があり、彼女はこう言った。「ぺーチャと我々を助けてほしい。」と。そうして私はその仕事を始めた。今でさえ、私は彼の中に自分の教えたものを見ているし、今年はすでに小さな芽が出ている。そして、シーズンの最後まで彼らと連絡を取り合った。
ビデオ通話で?
もちろんそうだ。個人的に彼とは知り合いだったけどね。彼はずいぶん前にアメリカに来て、会ったことがあるんだ。しかし、彼から一緒にやってほしいと誘われたとき、私は断った。彼と一緒に仕事をしている人たちの知らないところで関わり合いになりたくなかったからだ。そしてその後、最初にタマラ・ニコラエヴナから電話があり、次に彼のスクールの監督から電話があり、さらに彼のコーチとも話をした。私の理解では、これが理想的なシナリオだ。すべてがオープンになり、仕事が誰かの頭上を飛び越えていないという状況がね。
イニシアチブはリーダーシップから来るべきだ。なぜなら、私はこう確信しているから。ロシアのスポーツ選手は自ら決定することはできず、それは、彼らは最初から国のシステムの一部であり、完全にサポートされていからなのだと。国が最初からすべてを提供しているのだ。アメリカではそんなものはない。スケートリンクに入るだけで12ドル、出るだけで20ドルなんて、ハハ。専門家の報酬については言うまでもない。理解してもらえるかな?
グメンニクと続ける準備はできていますか?
今、状況は複雑で、はっきりしないことが多い。いつ、どのようにすべてが終わるのか誰にもわからない。ペーチャは多くのことを学んだが、今は少なくとも彼が到達したレベルを維持する必要がある。
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直近のシーズンでは彼は非常に成功しましたね。
私は隠さずに言うと、彼の成功が嬉しいよ。彼はシーズン半ばに私にメールをくれた。「僕は賞金をもらったので、あなたにいくらかお支払いしたいです。」と。でも私は彼に相談料を請求しなかった。そして私は、若いから、何かしらお金の使い道が見つかるよ、と言った。
それでも、彼はすばらしいし、正しいことをしましたね。
もちろんそうだ。彼はとてもいい青年だし、私にそう書いてくれたことが彼のことをよく表している。私は悪人とは付き合わない。いい人と一緒に仕事をしたほうがいいからね。そうでしょう。それが僕のポリシーで守っている事なんだ。そしたらすぐにいい人と会えるしね。
でもやっぱり、ロシアの女子選手とタンデムを組んでほしいと思います。その結果を見るのは本当に面白いと思うんですが。
そうだね。それは面白いと思う。彼女らはみんな魅力的で、ただの女の子じゃなくて宇宙だよ。個性的な子もいるし、そういう子たちとやれば、かなり簡単に真剣に結果を出せるかもしれない。しかし、繰り返すが、私はコーチや上の者に無断で誰かを連れて行くことは決してしないんだ。
では仮にそういう人たちが同意したとすれば道は開けますよね。誰を取りますか?
トップ10の選手なら誰でも取れるね、ハハ。その後私たちがどうなるのか、どんな勝利を収めるのかはわからないけれど、確実に言えることは、そのようなスケーターと一緒に仕事をすることは他にないプロセスだということだ。
ちょうど今思ったのですが、彼ら自身が常にモチベーションを持っているわけではないですよね。
それなんだよ!それが彼女たちとやるにあたっての2つ目のポイントだ。彼女たち自身がスケートをしたいのか、母親とコーチに蹴られたからなのか、はっきり理解しなければならない。彼女たちは、使うべきでないような言葉で色々言われたから前進したのか。つまり、彼女たちが慣れ親しんでいるその方法を、私は使うことができないということなんだ。すると後になって突然、私は悪いコーチであるということになってしまう。ただ汚い言葉を使わないだけなのに。
あなたは声を荒げることもないように見えますね。
声を荒げることはあるが、ごくまれだ。そうなる前に、私は何でも100回は言うんだ。だから私のことを聞いていないとなると、怒るしかないんだ。でも、ここ何年かで私も落ち着いてきたし、選手たちも理解してくれるようになったよ、ハハ。
浅田真央の大きな秘密(またはラファエル・アルトゥニアンの間違い)
女子選手の場合も、年齢と成長の瞬間があって、かなりデリケートなんだ。私が浅田真央を引き取ったのは、彼女が14歳でスルツカヤのもとグランプリファイナルで優勝した後だった。オリンピックはその時彼女は年齢的にはまだ出られなかった。そして、彼女はまさにこの思春期に私のところにやってきた。
誰もが私に言った。怖くないのか?と。その時彼女を取るのは皆怖がっていた。失敗する確率が高すぎるし、なぜ自分の手でコーチングの評判を落とすのか?と言われたね。でも私たちは成功した。私は自分が何をしているかを知っていた。
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ただ残念なのは、彼女と私が、愚かな誤解のために勝利の結末を一緒に迎えることができなかったことだ。彼女は突然、練習を休み始め、リンクにも来なくなった。彼女は理由を説明しなかった。私はその時、熱く野心に燃えていたから怒ってしまった。「もう来ないでくれ。」と言った。当時、彼女の母親が重い病気にかかっていて、日本でしか治療が受けられないことを誰が知っていただろう。しかも彼女はそれをチームには内緒にするという約束をしていたんだ。
私はその時、重大な理由があることに気づけるほどの経験がなかったんだ。彼女は私をトレーニングのために呼んでいたが、私は彼女が私と遊んでいるように見えた。その時、私は自分が非常に経験豊富なトレーナーだと思っていて、トレーニングプランが立てられているから、厳格にそれに従う必要があると思っていた。
だから、彼女のところにアシスタントを送り込んだが、なぜその後、真央が来ないのか不思議に思っていた。そして彼女のマネージャーは、母親にそのような危機的状況があることを一言も教えてくれなかった。知ってさえいれば、私はすべてを捨てて彼女のところに飛んでいっただろう。
とにかく、彼女は私抜きで2008年の世界選手権に出場した。そして彼女とジェフリー・バトルはタイトルを獲得した。私はそれを家のテレビで見ていた。バトルに行くように説得されたけど、わざと行かなかった。私は、ただ自分がスウェーデンに飛んでいけば、浅田が私のところに来るとわかっていた。本当に腹立たしいよ!歴史的瞬間を逃してしまったんだ。少年と少女が1人のコーチとともに1つの世界選手権で優勝したというその瞬間を。
コーチとして難しい経験だったと思いますが、かけがえのないものでしたね。
もちろんだ。すべてが白か黒かではなく、灰色や青やいろいろなものもあるのだと気づけた。でも、こんな大変なときに彼女を支えてあげられなかったことを、どんなに後悔しているか(浅田真央の母親は2011年に肝臓の病気で死去 – Sports.ru)。そう、私は真実をすべて知っていたわけではなかったけれど、今でも後悔している。
オリンピックの後、私は彼女に会う機会があった。彼女は私のところに駆け寄ってきて、「ラフ、あなたがしてくれたことは決して忘れません。」と言ってくれた。そう、私は良いキャリアを積んだんだ…。
それが過去形なのはなんだか好きじゃありませんね。
もはやそうなんだ。このインタビューの始めに話した彼(イリヤ)には、ぜひ頑張ってほしいね。そのために全力を尽くすつもりだ。特にイリヤが僕と一緒にカリフォルニアに引っ越すと決めたらね。海では泳げるし、山ではスキーもできる。アメリカ人なら誰もが憧れる、理想的な気候の素晴らしい場所だ。
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