SEが2018年の五輪の際ロシアのフィギュアスケート選手達がどこにいたかを語る
私達のスター達の最初の五輪へ向けての困難な歩み。
北京オリンピックで私達はフィギュアスケートロシア代表が一新したのを目にしている。
平昌の頃から次の五輪まで「生き残った」のはペアのタラソワ&モロゾフのみで、女子シングルと男子シングルそして様々な原因でアイスダンスまでも完全に新しいメンバーとなった。
多くの選手がオリンピック初出場で、4年前はオリンピック出場はただの夢だったかもしれない。
彼ら存在を知っていたのは専門家、記者、有名ファンの中でもほんの一握り。私達のスターは2018年2月に一体どこにいたのか?
ワリエワはトゥトベリゼのもとへやってきて、エテリはすぐ彼女のポテンシャルを明らかにした
初めは、来たるオリンピックの重要人物について。
カミラ・ワリエワはモスクヴィッチのナタリヤ・ドゥビンスカヤの教え子として平昌オリンピックを見た。
当時彼女は才能があるが展望のはっきりしない非常に安定性がない選手だと考えられていた。
素晴らしい滑りは大きなミスに取って代わられ、優雅な振り付けは真剣な技術一式が足りていなかった。
2018年春へ向けてワリエワの家族はそろそろ何かを変える頃だと決心した。
ちょうどその時サンボ70は新たなコーチを採用した。
セルゲイ・ロザノフだ。
エテリ・トゥトベリゼは若く将来性のある面白い選手達を彼に任せ、エテリ自身はザギトワとメドヴェージェワと共に平昌へ行った。
ワリエワはトライアルにやってきた。
カミラはすぐロザノフが気に入り、同様にトゥトベリゼ自身、グレイヘンガウス、デュダコフも気に入った。
彼女は2018年3月公式にクリスタルへ移った。
トゥトベリゼのもとへの移籍によってすぐ彼女への見方が変わった。
ザギトワと違って、ワリエワのストーリーは、勤勉で成功を重ねたものではない。
カミラはまさしく才能があり、彼女のような人間が生まれるのは非常に稀である。
才能が無限で、プロ集団のチームで早く自身の最高の素質を開花させた。
最初のシーズンでトゥトベリゼはワリエワに崇拝の対象たる名プログラム「玉乗りの少女」を用意している。
まだ最初の公式の国際試合までに、パブロ・ピカソのシンボル的作品の氷上での解釈したこのプログラムは即座に12歳のジュニア女子選手を全世界で有名にした。
1年目の終わりへ向けてクリスタルでの練習でカミラは4Tを跳び、間も無くサルコーと3Aが教えられた。
事実上弱点のない理想的なフィギュアスケート選手のレシピが出来上がった。
大きな実現可能性とともに彼女はこの種目で最も若くして五輪を2度優勝するだろう、まだ4年前は多くの人が引退するかアイスダンスへ移るだろうと思っていたけれど。
シェルバコワは4回転の後足を骨折しスポーツを引退しかねなかった
他のトゥトベリゼの教え子には2018年に引退する大きなリスクがあった。アンナ・シェルバコワだ。トゥトベリゼのグループの中でも最も献身的な選手はサンボ70
で安定して4回転を跳ぶ様になった。
まだ2017年の春にシェルバコワは練習で様々なコンビネーションジャンプを伴う堂々たる4Tを見せた。
フィギュアスケートにおけるこのような騒ぎはまだなかったが、当時専門家は彼女の大きな将来を見出していた。
残念なのは、若い年齢での多回転ジャンプへの取り組みは痕を残す。
2017/18シーズンの最初にアンナは足を骨折し、深刻な怪我は神童のハイレベルなスポーツでのその後の運命を危機に晒した。
しかし、私たちが知っている通り、シェルバコワは屈服せず、不屈の性格の端緒がすでに当時現れていた。
彼女は最短で復活し、世界ジュニア代表には選ばれなかったが、見事にジュニアのロシアカップファイナルで優勝した。
ソフィヤの世界ジュニア(2018年は同大会はブルガリアで開催され、2022年も同じく同地で開催される)へはコストルナヤ、コンスタンチノワ、トゥルソワが選ばれた。
3人の少女の運命は結果に沿って異なる方向へ形成されていった。
氷上で彼女を見るのはマスコミの生中継で見るよりも稀になっているが、コンスタンチノワは定期的に国内大会に出場しどうやら引退は考えていない。
コストルナヤは自身の最初のシニアシーズンではリーダーになったが、その後プルシェンコの元と行ったり来たりした。
アリョーナは以前の水準へは結局戻れておらず、手の怪我が北京を目指した争いから彼女を引き止めた。
アレクサンドラ・トゥルソワは、時と共にその唯一無二という立場を失ったが、これまでスポーツの第一戦にいる唯一の選手である。
ミーシナ&ガリャモフはパヴリュチェンコ&ホディキンに負けた
トゥルソワの2018年世界ジュニア選手権のFSの演技は全スポーツ界にショックを与えた。
1つのプログラムで4回転2本、技術点90点以上を13歳の少女が出すとは!ある人々はアレクサンドラに本人不在で北京のメダルをかけ、他の人々は急な怪我と15−17歳での引退を予期していた。
年齢制限を囲む討議と4回転の禁止はまさにトゥルソワが始まりで、それに関し彼女自身は世間の人が何を思うかに殆ど動じなかった。
翌年彼女は1つのプログラムで4回転を3本備え、トウループ、サルコーにルッツを加えてきた。
その後フリップを習得しクワド5本の夢のプログラムを揃えてきた。
2度目のジュニアの金と共に彼女へはスポンサーと世界的評判がやってきた。
事実、シニアではアレクサンドラはこれまで一度も本格的な試合で優勝していないし、同様に転倒なしクワド5本も成功していない。
オリンピックで成功できるか?
ソフィヤでの世界ジュニア選手権はペアにおける金メダル競争の扉も開いた。
2018年春へかけてはアナスタシヤ・ミーシナとアレクサンドル・ガリャモフは一緒に1シーズンも滑っておらず、それゆえその年の主要な大会ではダリヤ・パヴリュチェンコ&デニス・ホディキンだけでなくポリーナ&コスチュコヴィチ&ドミトリー・ヤリンにも負けていた。
パヴリュチェンコ&ホディキンは代表の座をかけた戦いに敗れ、コスチュコヴィチ&ヤリンは解散し引退も近い。
だがしかし、ミーシナ&ガリャモフも昨年の春まではずっとオリンピックレースの候補ではなかった。
彼らには安定性が欠けていた。
グランプリファイナルのメダルに続いて全露でのミスがあり、欧州選手権を欠場した。
ロシアカップでの勝利、再び全露でミス、そしてロシアカップファイナルを経てようやく彼らは世界選手権に出る資格を得た。
堂々と眩しいばかりの2021年ストックホルムでの世界選手権での勝利は全てをかえ、今はタマラ・モスクヴィナのペアは2022年北京オリンピックの金へ向かって歩みを進めている。

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